太平洋戦争まで世界から3度問われた日本 戦争は敵対する国家の「憲法原理」への攻撃だ

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日本は世界から「どちらを選ぶか」と三度、「戦争まで」の10年の間に問われた。それでもよりよき道を選べなかったのはなぜか。

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戦争とは敵対する国家の憲法原理への攻撃

──1941年の宣戦布告まで10年間に三度、問われたのですね。

リットン報告書、日独伊三国軍事同盟、それに日米交渉。つまり32年にリットン報告書を受け取るかどうか、20日間で急いで三国軍事同盟を結ぶかどうか、41年4月に始まり太平洋戦争の直前まで行われた日米交渉を妥結して、米国と戦争をしないことにするかどうか。「憲法原理」で譲れない部分の戦いだった。

──憲法原理とは。

フランスの思想家・ルソーは、戦争がなぜ起こるかを一言で答えてくれている。戦争は、主権や社会契約に対する攻撃であり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとるものだと。この場合の憲法とは、具体的な条文ではなく、その社会を成り立たせている基本的秩序、憲法原理を意味する。

私が未練がましく、戦争において「たら」「れば」をしつこく言うのは、現実に歴史上起こったからといって、それがいちばん蓋然性の高いことだったわけではないからだ。

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