イスラーム学者 中田 考氏に聞く 『イスラーム 生と死と聖戦』を書いた

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唯一神アッラーに帰依するムスリム(イスラーム教徒)は、本来好戦的でも排他的でもないという。ムスリムの死生観とは。

”コーランか、税か、剣か”が正しい

イスラーム 生と死と聖戦 (集英社新書)
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──「剣か、『コーラン』か」がイスラームの常套句ではないのですか。

本来は「『コーラン』か、税か、剣か」が正しい。イスラームはむしろ商業と相性がよく、好戦的ではない。預言者ムハンマドも商人だった。商業的に栄えるよう、異教徒でも安い税金さえ払えば永住権が保障された。

── 一方で、ジハード(聖戦)が天国への近道ともいわれます。

ジハードはアラビア語では三つの語根j、h、dから派生した動詞ジャーハダの動名詞。違うベクトルの力の拮抗を意味する。『コーラン』では、多神教徒がムスリムにイスラームを捨てさせ多神教に戻そうと試みることも、ジハードと呼ばれている。戦闘はジハードの特殊ケースにすぎない。

──ジハードはムスリムの義務とされています。

聖戦と和訳されているが、アラビア語に聖に該当する言葉はあるものの、その意味はジハードにはない。聖戦という訳は正確ではない。イスラームの文脈では宗教のために努力する、戦うという意味が正しい。法学上のジハードは、イスラームのための異教徒との戦闘と定義され、義務であるのか、許されるのか、許されないのか、この三つに分けられる。こういうときに戦闘が許される、このときには許されない、この場合にはどちらでもいい、となる。たとえば自衛権。異教徒の敵軍が攻めてくる。この場合にはジハードが義務になる。信徒の義務だから戦わなければいけない。これが基本だが、あまりにこちらが弱く、相手が強い場合には降伏してもいい。ケースによる。

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