ジョン・レノンがオノ・ヨーコと出会った運命の日 『ジョン・レノン 最後の3日間』Chapter32

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ジョン・レノンがオノ・ヨーコと出会った瞬間とはーー?(写真:xavierarnau/iStock)
エミー賞9度受賞のほか、エドガー賞、アメリカ人文科学勲章、アメリカ文学界奉仕功労賞を受賞しているアメリカでも有数のストーリーテラーの名手ジェイムズ・パタースン。その著者が、ポール・マッカートニーをはじめとする関係者への独占インタビューを盛り込み、ビートルズ結成60周年、解散50周年、ジョン・レノン射殺から40年の節目であった昨年、満を持して上梓したのが、ニューヨークタイムズベストセラーにもなった『The Last Days of John Lennon』でした。
今回はその翻訳書『ジョン・レノン 最後の3日間』の中から、Chapter32・35・37・39から抜粋し、東洋経済オンライン限定の試し読みとして4日連続・計4回に分けてお届けします。

愛と希望とセックスと夢……
――「シャッタード〈Shattered〉」

ある日、地元の新聞を読んでいたジョンは、1966年に制作されたある白黒映画に関する記事を目にした。

監督は、分野を超えたグローバルな前衛芸術家集団であるフルクサスのメンバーで、アヴァンギャルド芸術家のオノ・ヨーコという日本人女性だった。

現在はニューヨーク近代美術館に保存されているこの映画は、『ナンバー・フォー(フルックスフィルム16番)』という5分半の作品で、フルクサス創始者ジョージ・マチューナスの言葉によれば、「歩いているさまざまな人のお尻を連続して映した映画」だった。

ジョンはこれを読んで笑い声をあげたが、心の中では、オノ・ヨーコというアーティストの辛辣で正直な姿勢に興味を惹かれていた。

そんなとき、友人のジョン・ダンバー(彼の妻でミュージシャンのマリアンヌ・フェイスフルは、1966年にミック・ジャガーとの不倫をスクープされた)から、自身が1年前から共同経営者を務めるメイフェアのインディカというギャラリーでの個展を見に来ないかという誘いがあった。

個展のタイトルは「未完成の絵画とオブジェ」。アーティストの名前はオノ・ヨーコだった。

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