ヤクルト高津臣吾監督が描く「勝てる組織」とは 積極的な情報共有で考え方や方向性を合わせる

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――さて今回は「勝てる組織とは?」ということを伺いたいと思います。まずは、リーダーが頂点に位置して、そこから上意下達のピラミッド型がいいのか、それとも風通しのいい横並びの関係がいいのか、高津監督の理想はいかがでしょうか?

高津:今、「ピラミッド型」という表現がありましたけど、絶対的に仕切る人、管理する人は必要だと思います。トップの人が積極的にマネジメントする。そこがハッキリしていないと、その下で働く人、「下」という言い方はあんまりしたくないけど、そういう人たちは動きづらくなる。だからこそ、全体を統括する人がきちんと指示する。ビシビシと「イエス、ノー」を言う必要があると思います。

――それは、野村克也監督、若松勉監督ら、現役時代に仕えた監督と接して感じた結論でしょうか?

高津:僕の現役時代は、グイグイ引っ張るタイプの監督もいれば、どちらかというと柔軟に周囲との会話を大切にしている監督もいました。それは、どちらがいいとか悪いということではなくて、僕自身のタイプとしては、「監督としてテキパキと判断しよう」というのは心がけていることです。

各コーチ、ヘッドコーチとのつき合い方

――次に、監督を支えるコーチとの関係性について伺います。コーチたちとの付き合い方はどのように意識されていますか?

高津臣吾(たかつ しんご)/1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。1990年ドラフト3位でスワローズに入団。1993年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。2014年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。2017年に2軍監督に就任、2020年より現職(写真:アルファポリス)

高津:僕自身はピッチャー出身なのでピッチャーのこと以外はわかりません。だから、打つこと、守ること、走ることについては積極的に各コーチに意見を求めますし、その考えを尊重するように意識しています。バッティングに関しては杉村(繁)コーチ、松元(ユウイチ)コーチに、守備走塁については、内野は森岡(良介)コーチ、外野は河田(雄祐)コーチに100%の信頼を寄せています。

――投手陣についてはどのようにお考えですか?

高津:もちろん、斎藤(隆)、石井(弘寿)両コーチを信頼して任せていますが、打撃や守備走塁とは違って、「今、どんな状態なんだ?」「彼は今、こうなっていると思うんだけど……」とこちらの考えを伝えることも多いですね。基本的にはコーチの意見を尊重しつつ、自分でも積極的に状況を把握するように努めています。

――各コーチとの関係性とは別に、監督の片腕とも言うべき、宮出隆自ヘッドコーチとはどのような関係性を意識していますか?

高津:ヘッドコーチというのは、まさに「コーチの中のトップ」という位置づけです。いわゆる「中間管理職」として、上からも、下からも、板挟みになる難しい立場だと思います。さっき言われたように、僕の「片腕」として密に意見交換をしていますね。僕の中では「ヘッドコーチを育てるのも仕事だ」という思いもあるし、「宮出にはもっと成長してほしい」という思いも強いです。

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