韓国のFランに通う学生がかえって幸福な理由 世俗的成功より家族の幸せを大事にしている
彼らに共通するのは「適当主義」である。適当主義者は高望みせず、競争を避け、限定的な人間関係から逸脱しないように振る舞う。自己啓発やスキルアップに勤しむソウル近辺の大学生の「没入主義」とは相容れない存在だ。
日本でも地域に密着し、自己完結して一生を終える層を「マイルドヤンキー」などと揶揄していた。そう考えれば、国を問わず、地方での生存方式として普遍的なものなのかもしれない。
チェ教授は同論文で「地方大生はこうした狭い行動範囲から脱却すべき」と主張していたが、韓国の地方居住青年たちの幸福度は、絶望的な外的要因と比べてさほど低くないという見方もある。
韓国統計庁によると、20、30代の人生の主観的満足度は2003年の調査時には2.97点だったが2011年に3点台となった後、2015、2017年も続けて3点台をキープ。また2012年の東アジア社会調査資料では、韓国の20、30代の主観的幸福度は日本の「さとり世代」よりも高かった。
全北大学校のイ・スンミ教授は、とある地方の1都市の若者を対象とした調査で、所得、住居、雇用労働、社会的関係および活動、健康、自由裁量時間の6つの尺度から多次元貧困度を分析している。その結果、住居と自由裁量時間を除く4つで観測された貧困率は特に全体として高かった。そのうち、40.9%の若者が「貧しいながらも幸福と感じている」ことが明らかになっている。
若者たちの「適当主義」は不幸なのか
イ教授もまたチェ教授と同じく、この結果にあまりポジティブな評価をしていないようだ。
イ教授は、若者たちがよりよい未来を捨てる代わりに私生活の安寧を重視し、近しい人間関係やコミュニティへの参加を通じて承認を得たり、自己慰安をしたりする構図からは「解決策は生まれない」という見解を示した。そして「貧困青年たちにとっての幸福は(中略)与えられた状況を諦念的に受容することに近い」とまで言い切っている。
しかしそもそも、最初から若い世代の人生に存在しえない現実に対して諦念的、つまり「諦めている」という評価を下すのは正しいのだろうか。
あくまで個人的な感想ではあるが、取材を通じて「韓国の中高年は、上から目線で若者論を語りがち」という印象を強く感じている。特に現在の競争社会の基盤を築き、階層固定化を招いた1950~1960年代生まれの価値観と、今の若者のそれには大きな隔たりがあるように感じられた。
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