失敗を「引きずる人」「糧にする人」の致命的な差

人生が終わるような失敗は「まず起こらない」

唐突に聞こえるかもしれませんが、仏教では失敗を「仏様から与えられた試練」と捉えるという考え方があります。

失敗を「試練」として捉える

「失敗」はただの偶然ではない。それが生じるには何らかの意味がある。そしてそれは決してネガティブな、マイナスの意味ではない。なるほど、今この場においては痛い経験以外のなにものでもないが、実は成長のきっかけになる意味のある経験なのだ、という捉え方です。

これは“仏”という信仰の対象ありきの思考法ではありますが、実は心理学的にも極めて有効なのです。なぜなら人間のメンタルは「無意味性」にとてももろいからです。それに対して、どんなつらいことでもそれに「意味」や「意義」があるといったん認識できると、人間の心はまるで変身したかのように忍耐強くなり、クリエーティブにすらなるからなのです。

失敗をしたときに「なんでこんなミスをしてしまったんだろう?」「こうすれば防げたかもしれないのに」とくよくよ悩む次元から脱却して、「この試練を乗り越えれば、私はまだ成長できる。だから、仏様はほかならぬ自分にこの試練を与えたのだ」と捉える。信仰がなくても構いません。

失敗を自分が成長するために必要な「試練」と捉える。たとえ疑いつつでもいいのです。一度そう意識の中で自分に言い聞かせるだけでも、われわれの心は落ち着き、前向きになっていきます。

これは、ただの「ポジティブシンキング」とは違う、仏教が持っている、広大で緻密な世界観を背景にした捉え方です。

失敗したとき、私たちは往々にして、失敗の原因を他人や社会など、「自分以外のもの」に求めがちです。しかし、本当は、失敗の原因というのは、目に見える他人や社会「だけ」ではなく、森羅万象のすべてにつながっています。

仏教には「因果応報」という言葉があります。この言葉は、「悪いことをすると、めぐりめぐって自分がひどい目に遭う」という理解が一般的だと思いますが、仏教における因果応報というのは、「気づかないうちにやった悪いこと/いいこと」もまた、すべて自分自身につながっている、という考え方です。

例えば、仕事で失敗をしたとします。それまでずっと真面目にやってきたし、人に後ろ指をさされるようなこともしていない。失敗するような原因など、どこにも見当たらない。でも、実はどこかに原因はある。なぜなら、自分が認識できないだけで、人間がやっていることはすべてがつながっているからです。

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