目指すのは「一条校とインターナショナルスクールの間」

2022年度に第1期生となる生徒を迎えた千代田国際中学校。同校の校長でもあり、系列の武蔵野大学附属千代田高等学院、武蔵野大学中学校・高等学校の学園長も務める日野田直彦氏は実にざっくばらんだ。

「学校説明会では、『うちは一度倒産した会社のようなものです』と話し、現在の経営状況なども包み隠さず伝えています」

それでも同校への期待や関心は非常に高く、22年度は全5回の入学試験に336人の志願者が集まった。さらに合格者のうち半数を超える74人が実際に入学。初年度からこれだけの結果が出たことには、やはり日野田氏の存在が大きく影響しているだろう。同氏は「私はそんなに前に出たくないんですよ、とにかく主役は生徒ですから」と笑うが、14年に大阪府立箕面高等学校に全国の公立高校で最年少の校長として就任し、海外大学への直接進学で前例のない実績を残す革命児だ。

「箕面高校のときも、私は英語を勉強しろとか海外の大学に行けとか、そんなことは言っていません。ただ日本が今どんな状況にあるかという事実を淡々と説明し、選択肢の1つとして海外の情報を示しただけです。あとは生徒自身が興味を持てば、それを手助けすることには全力を尽くしました」

東京都心の一等地に位置する千代田国際中。周辺には雙葉や女子学院などの名門もある

できたばかりの学校にわが子を預ける決断をした、1期生の保護者たち。具体的にはどんな家庭の子どもが集まっているのだろうか。

「今の保護者は、ちょうど就職氷河期を経験した世代が多くなっています。東大を出ても企業に入れなかったような時代を経て、偏差値教育に限界を感じるようになった方も増えているのだと思います。とくにお父さんが本校を気に入ってくれたご家庭が多いようで、説明会でも父親参加率が非常に高いことが特徴的でした。私の経歴をご存じの方が、ちょっとしたコンサルやセミナー感覚で来てくれたようです(笑)」

目指しているのは、一条校とインターナショナルスクールの中間のような、自由さとケアの程よいバランスだ。現在の1年生が中学を卒業するタイミングで、接続する高校もリニューアルする予定だという。

守破離、中庸、関係の質……日本人のよさに気づいて

千代田国際中の理念には日本的な点も多い。日野田氏は「基本の礼節は大切です」と語り、学びの過程を示す思想として、武道や茶道で言われる「守破離」を掲げている。これは同校の教育方針であるPBL(Project Based Learning)にも通じるもので、「学んだ知識を使ってみて、うまくいかなければまた学び、応用する。この繰り返しはリカレント教育にもつながります」と説明する。

また自身の経験から「日本人の強さは中庸にある」とも考えている。海外では、異なる背景を持つ人たちが共に過ごす中で、軋轢も生まれやすい。そんなとき、間に入って両者を調整することができる日本人の能力は、これからの社会でますます求められるものだと話す。

「私も海外では『まあまあ』という感じで、よく争いを仲裁していました。この役割を担っているのはたいてい日本人かトルコ人か、あとはアハハと陽気に流すブラジル人でしたね(笑)」

日野田直彦(ひのだ・なおひこ)
1977年生まれ。武蔵野大学附属千代田高等学院、武蔵野大学中学校・高等学校の中高学園長、千代田国際中学校校長。帰国子女として育ち、帰国後は同志社国際中学校・高等学校に入学。学習塾などを経て、2014年、公募等校長制度で大阪府立箕面高等学校の校長に就任。21年から現職。著書に『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか⁉』(IBCパブリッシング)がある

和を貴び、中庸を体現できる日本人の需要はあるが、それはただ英語ができるだけの人ではない。自らを知り他者を理解し、文化のイクオリティー(平等性)を実現する力を持つ人で、なおかつ英語ができる――という順序だ。だから日野田氏の英語教育ではまず思考力を育てるし、昨今の「論破」をもてはやす風潮にも警鐘を鳴らす。

「私がいた頃のタイもそうでしたが、治安の悪い国で相手を軽々しく論破なんてしてはいけません。相手によっては恨まれて刺されますからね」

そう冗談を交えつつ「相手を論破して全否定してしまえば、そこで関係のすべてが終わってしまいます。どんな場合でも、私が重視したいのは『関係の質』です。日本人のよさはそういうことにもあったはず」と続ける。

「関係の質」とは何か。日野田氏は学校改革に当たって、つねに教員たちとの「関係の質」を向上させてきた。

「箕面高校でもこの千代田国際中でも、私が来たばかりの頃は先生同士の仲が悪く、陰口を言い合い、けんかしている状況でした」

つねに結果を求められ、失敗の許されない状況では、教員たちは「嘘をついて格好つけようと」してしまう。新たなやり方に対する反発も大きく、「それはいかがなものか」などという否定の言葉が飛び出す。

「相手を否定するだけで何も生まない『いかがなものか』という言葉は、私はファシストの言葉だとさえ思っています(笑)。でも先生たち一人ひとりはみんないい人だし、能力もある人たちなのです。これは天動説を唱える人に、地動説が急には伝わらないようなもの。まずは腹を割って話せる関係をつくることが必要なのです」

千代田国際中の校長に就任してから、日野田氏は教員たちに「陰口は禁止。言いたいことは直接私に」と呼びかけたり、カジュアルなピザパーティーをしたりして、本音を言い合える関係を築き上げた。

「思うことを言ってもいいんだとか、失敗してもいいんだと思えれば、先生たちも肩の力が抜ける。生徒たちが安心できる状態でこそ勉強に打ち込めるのと同じです」

「関係の質」が高まれば教員は自由になり、その空気は生徒にも伝わる。日野田氏の校長室には、休み時間や昼休み、生徒が引きも切らずにやって来る。「校則を変えたい、どうしたら?」「古いベンチの改修プロジェクトをやりたい」などというプレゼンテーションから、進路や日常に関する悩み相談までその内容は幅広く、「なんなら先生も遊びに来るので、全然休めないんです」と日野田氏は笑う。

「学校モデルのオープンソース化」で生徒の夢をかなえたい

日野田氏は、英語もICTも単なる手段にすぎないと語る。偏差値や知名度で大学を選ぶことをよしとせず、生徒たちには何を学びたいか、師事したい先生がいるかどうかで進路を選ぶよう指導している。

「本当になりたいものがあるならどんな職業でも構わないし、大学進学も絶対ではない。いちばん大切なのは自分の天命に気づき、何がしたいのかを考えることです。子どもの頃から家庭でそうした話が自然にできていれば、それはおのずと形になってくることではないかと思います」

戦後の高度成長期には労働者を大量に育てる必要があったし、既定路線から外れないことが生きるすべでもあった。だがこれからの社会では、その発想は通用しない。日野田氏は「現在の東京でも、阿諛追従(あゆついしょう)する人材を量産するような教育がいまだに行われています。自分の人生のオーナーシップを自分で持つべき時代に、いい大学に入ればそれでいいと思っているのはそうとうまずい」と危機感をあらわにする。

国語と美術を掛け合わせたSBL×PBLの授業の例。イラストと言葉で物語を考え、伝えるための多様な表現を学ぶ(写真:千代田国際中提供)

日野田氏いわく「教育には『偉大な勘違い』をさせることが欠かせない」。それは決して、大人が手を貸したことを「自分の力でできた」と思わせることではない。

「できるよと言ってあげたり、夢をかなえた人が身近にいたりすると、子どもは素直に『自分にもできるかもしれない』と信じることができます。それが勘違いであってもいいし、そうした勘違いをさせることが私たちの仕事です。できると思って子ども自身が動けば本当に実現できるのですから」

偏差値50台の箕面高校から、何人もの生徒が世界の名門大に進んだ。千代田国際中の系列高校からも、日野田氏の就任以降、帰国子女でもインターナショナルスクール出身でもない生徒が米イリノイ大学への進学を果たしている。

また、千代田国際中では「FA特待(ファイナンシャルエイド型奨学金)」の制度を設け、保護者の年収が低い家庭の子どもを対象に支給する。家庭の経済状況に応じ、日野田氏の人脈も駆使して「奨学金をかき集めている」と言う。

「世界の大学の学費は交渉で下がることもあるのですが、多くの日本人はこれを知らない。インターナショナルスクール出身の人なら大体知っていることなのですが、こうした知見も広めていきたいと思っています」

公立高校での校長勤務経験もある日野田氏は、経済格差が教育格差になってはいけないと考えている。高級住宅街に位置する私立中学校に勤める現在もそのポリシーはぶれない。最たるものは「学校モデルのオープンソース化」だ。

「海外大への直接進学者は、注目されている割に実はまったく増えていない。むしろ減っているのが現状です。箕面高校でもこの学園でもできるのですから、方法さえわかればどこの学校でも必ずできるはずなのです。そのやり方をプロトタイプとして、関心のある全国の学校でぜひまねしてもらいたい。ノウハウを隠そうとか、うちだからできるなんて言う気はありません」

日野田氏の掲げる理想は至極まっとうで、それゆえに当たり前のことのように思える。だがそれらが多くの場面でいまだ実現していないのはなぜなのか、そして日野田氏の下では実現するのはなぜか。同校のある職員は日野田氏について、「日野田先生は当たり前のことも言語化して背中を押してくれる。大人にも子どもにも、できると思わせる力がある」と語った。その力はおそらく、日野田氏自身がそう信じていて、実際に行動してきたからこそのものだろう。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:梅谷秀司)