指導者は、機会を創出するファシリテーター

佐伯夕利子氏がスペインに渡ったのは高校卒業後すぐのこと。父の仕事の関係という、いわば不可抗力でスペインの地を踏んだ彼女は、語学習得も兼ねて地元のサッカーチームに入った。小・中学校での5年弱のサッカー経験を生かして、スペインの同世代と切磋琢磨し刺激を受けながら、ひたむきにボールを追いかけた。そうして、1年ぐらいが過ぎた頃、練習後に見上げた空に、自身の未来予想図を描いた。

「ああ、私はこれで生きていきたい、サッカー指導者として生計を立てたい」

空を見上げていたら取りつかれたような感情が降って湧いた。初めて、明確に自分の目指すべき道が見つかった瞬間だった。それは、生涯忘れられない空であり、今も続く佐伯氏の物語の夜明けでもあった。

指導者を目指しライセンス講習を重ねて、2003年には、日本のS級ライセンスに相当するNIVEL Ⅲを日本人として初めて取得。同じ年にスペインリーグ3部のプエルタ・ボニータの監督に就任した。3部ではあるが、スペインリーグのチームを日本人、しかも30歳の女性が務めるのは異例だった。

00-01年シーズンのレアル・マドリード・サッカースクール時代。試合中にチームに指示を出している

「当時はよりよい指導者になることにフォーカスし、キャリアアップすることをつねに考えていました。“日本サッカー界のために”といった大きな目的はなく、30歳までは一心不乱に、とにかく自分が指導者として大成することだけを考えて、生き急いできたような感じもありました」

そんな佐伯氏だったが、30歳を過ぎた頃に思考・指導法が大きく変化していくことになる。そのきっかけはビジャレアルに入ったことにあった。

「それまでの私の指導法は、『私はこうしたい』と主語が“私”でしたが、選手がどう思っているのか、何を感じているのか、何が見えているのかと、『選手』に軸足を置くことができるようになりました。指導者は、選手の学びの機会を創出するファシリテーターにすぎません。20数名の選手はそれぞれ違う問題を抱えていて、それらをしっかり丁寧に拾い上げながら対応していく必要があります。そして彼ら彼女らの成長を望み、アスリートとしての幸せへと導いてあげることが指導者の本当のあるべき姿だと捉えるようになりました」

スペインと比べて、日本の教育方針は意識が高い

ビジャレアルの育成・指導に携わった佐伯氏は、『教えないスキル ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術』を出版している。テレビで特集され注目を集めると、想像もしなかった分野の人からたくさんのフィードバックが届いた。その中でも印象的だったのは、とくに教育界だったという。「今、日本が教育現場で求めているのはこういうことなんです」と賛辞もあった。

「私もそうでしたが、これまでの指導では一方的にインプットして、指示を出して、人を動かそうとしてきました。これだけでは、頑張らせることはできても、自分で考えて行動する主体性が育まれません。この指導法のおかしさに少しずつ社会が気づいていると思うんです。習慣化していることにこそ、あえて『?』マークをつけて疑ってみる。そうすれば、きっと多くの気づきが得られるはずです。日本の教育って批判されることもありますが、私にメッセージをくれたり、現場ですでに動いていたりします。こういう動きはスペインではなかなかありません。教員たちの意識が高いというのは、今後の日本にとってすごくプラスだと私は捉えています」

04-05シーズンのアトレティコ・マドリード女子時代。試合終了後、選手を慰労している

佐伯氏がスペインに渡り、20数年間の指導者人生の中で、改めて気づかされた日本人の強みもある。全体観や調和を重んじ、バランスを考えて、チームワークに取り組もうとする意識が自然と身に付いているということだ。これは、他国からも重要視され、日本人という人材が重宝されているという。

「おもてなしという言葉が取り上げられますけど、重要なのはその裏にある姿勢だと思います。例えば、まったくやりたくもない町内会の草むしりとかがあるじゃないですか。日本の人って、心の中では嫌だなーと思いながら結局一生懸命にやりますよね。嫌なことに向き合うときでも心の中で姿勢を正し、1つひとつ地道に取り組むということを、日常の中で教えられていて、それが決定的に他国との差になっていると思います」

日本人の強みを理解しながらも、ときに自己主張が控えめという弱点も指摘する。佐伯氏がスペインに渡り、指導者を始めたときにいちばんカルチャーショックを受けたのは、スペイン人の圧倒的なコミュニケーションの豊かさだった。

「日本では先生やコーチが語りかけても子どもたちが答えない場面ってありますよね。『〇〇くん』と指名してようやく答えられるという。そういうことが、スペインの子たちにはない。ちょっとでも質問するとワーッてみんな一斉に答えてくるんですよ。よく外国の方って"How are you?"って聞きますよね。昔、私は"Fine"で終わっちゃってたんです。でも"Fine"で会話が終わるのは、こっちの人にはありえない。『で、それから?』って。今、日本でも言われる「雑談力」ですが、その能力が日本の人は圧倒的に低い。人間の関係性って一見無駄に見える雑談のようなところから豊かになって育まれていく。無駄話をしてもらえる関係性をつくることからチームづくりは始まるんですよね。その感覚を私はスペインで貴重な学びとして得ました」

これは学校という組織の中にも当てはまることだろう。教員と子どもたちでも、あるいは教員と教員でも、いい関係性はさまざまなコミュニケーションの上に成り立つのだ。

成功至上主義は不幸な子どもを生み出す

佐伯氏がビジャレアルでコーチングのスキルアップに没頭している頃、日本のスポーツや教育現場ではハラスメントの問題が表面化する場面が増えていた。欧米ではありえない言動が、平気で容認されている現実がまだ日本にはある。アスリートや子どもたちのポテンシャルを高めていくアプローチは、圧力ではなく、モチベーションだということはスペインでは周知の事実だ。

「人がいちばん成長するのは、自分が成長したいときなんです。日本では『監督さんのために』って言う子もよく見ますが、それはやっぱり間違っていると思っています。そこに本当の意味でのアスリートの成長はありません。自分の成長のためというのは利己的とは違って、自分がよりよいアスリートになるということです。そして、それを求め続けていい、それが健全なスポーツ感覚だと徹底することが重要なんです。『失敗したら怒鳴られる』っておびえながらプレーしているアスリートが伸びるわけがありません。心地よい環境でみんなが成長したいと思える環境を大人たちが提供できれば、いくらでもいいアスリートは生まれてくる。そうすれば、間違いなく競技者人口も増えるし競技力も上がります」

佐伯夕利子
2003年当時、スペインサッカー界では女性として初めてスペイン3部リーグ、プエルタ・ボニータの監督に就任。その後、複数のチームで指導者を務め、現在はビジャレアルの育成部で後進の指導に当たっている。日本プロサッカーリーグ常勤理事

そのように選手たちの成長を心から願う一方で、ユースチームでは夢が破れた後の話は避けられない。佐伯氏が相対するユースの選手たちは同年代の中のサッカーエリートであることは確かだが、その先でサッカーを職業にできる選手はほんの一握りだからだ。佐伯氏は、サッカーが好きということだけでは解決できない、人生の本質を選手たちには追求してほしいと願っている。

「私たちの世界では、よく『サッカーの向こうに新しい世界や人生が待っている』という話をするんです。若い選手ほど、サッカーがその子の世界のすべてを構成していることが多いからですが、彼らの長い人生から考えたらサッカーはほんの一部でしかない。幸せを感じられる濃度が高いから、彼らの中でサッカーがすべてになってしまうんですけども、そうじゃなくて『その先に広がる世界はもっと広くて、人生は豊かで幸せなものなんだよ、サッカーはその1つのツールにすぎず、あなたが幸せな人生を送るための通過点だよ』と大人たちが常々言ってあげないと、選手たちも道を誤りかねません」

これはあらゆることに頑張る子どもたちに共通していえることだろう。スポーツ大会、コンテスト、入試、資格試験……、全国優勝を懸けた試合でも、東京大学の入学試験でも、それは通過点にすぎない。

「試合に勝った、負けた、上のカテゴリーに昇格した、しない、のようなことがすべてになってしまうと『僕はダメな人間なんだ』と必要以上に苦しませ、不幸な子どもを生んでしまうだけ。大人たちがしっかりと人生や幸せについてのメッセージを伝えていかなくてはいけない」

子どもに対する接し方は、国が違っても、本質的に変わりがない。指導者とは子どもたちに学びの機会を創出し、幸せになるお手伝いをする人生のファシリテーターなのだろう。

(文:池田鉄平、写真:J.LEAGUE提供)