入社以来、マンション営業で生きてきた海瀬が、「売らない」と言い切ったのは、この場が初めてだった。廣田は微動だにせず、その声を聞いていた。
80年代に飛躍的成長を遂げた大京は、90年代に入ると急ブレーキがかかった。右肩上がりだったライオンズマンションの供給戸数は90年に1万8219戸へ達したが、翌91年には1万0217戸へ。わずか1年で44%もの縮小である。
追い打ちをかけたのがキャンセルの急増だ。バブル期には財テク目的で2戸、3戸とマンションを買う人が珍しくなかった。しかし、バブル崩壊で融資が止まりマンション価格が下落に転じると、契約解除が続出したのである。
大京は94年に上場来初の経常赤字となり、有利子負債は最大で1兆1400億円にまで膨らんでいた。販売不振、不良在庫、金利負担、すべてが経営への重しになった。
売れ残りを賃貸住戸へ
そして、もう1つの見えない問題があった。




















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