ソニーの「神の子」久夛良木健が得た天啓。創業者の一人・井深大に見いだされ、運命の技術と邂逅
小さな工場だったので、小学生の久夛良木は学校から戻ると御用聞きから印刷の手伝い、配達までやった。休日も家族旅行もない生活だったが、武次は「商売人に定年はない。いつまでも働ける」と言っていた。武次の背中を見て育った久夛良木は自分も商売をするつもりで、会社勤めをしようとは一度も思ったことがなかった。
久夛良木は2浪して国立の電気通信大学に進んだ。電気通信では最も進んだ大学の1つで、日本の大学で初めて公式ウェブサイトを開設したことでも知られる。学んだのはデジタル画像処理だった。
大学卒業を控えたある日、武次が病で倒れる。久夛良木は父の会社を継ごうと考えたが、武次は「この会社は俺一代で終わり。おまえは好きなことをやれ」と言った。好きなことといえば、エレクトロニクスとコンピューター。それが仕事になれば幸せだが、大企業は肌が合わない。久夛良木が「面白そうだ」と思ったのがソニーである。
1975年に入社
ソニーが生み出した「トランジスタラジオ」や「トリニトロンテレビ」は電気通信を学ぶ学生の間でも大人気だった。指導教官に相談すると「ソニーか。確かにあそこは君に向いているかもなあ」と背中を押された。
久夛良木が入社した75年は、高度成長を謳歌していた日本経済がオイルショックで踊り場を経験した時期だ。多くの大企業と同じように、ソニーも「採用ゼロ」の予定だったが、中長期の成長を考えて最小限の新卒を採用。その一人が久夛良木だった。採用面接で面接官は久夛良木にこう尋ねた。
「君は労働運動をどう思うかね?」
久夛良木は即答した。
「大っ嫌いです!」



















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