

――2005年の衆議院選挙は、自民党内から大量の造反者が出て郵政民営化法案が参議院で否決されるや、小泉首相が「国民に信を問う」として衆議院の解散に踏み切りました。
小泉さんは確かに郵政民営化法案の是非というワン・イッシューで解散に踏み切ったが、これは旧田中派への意趣返しという側面があったことも見逃せない。小泉さんは祖父も父親も衆議院議員という政治家一家に生まれたが、育ての親は福田赳夫元首相だ。若い頃に福田さんの秘書をして薫陶を受けた。
「角福戦争」で知られるように、福田さんは自民党内で田中角栄さんと争い苦杯をなめた。福田さんの引退後も福田派にあたる清和会は、最大派閥の田中派に冷や飯を食わされ続けた。小泉さんの政治行動の根っこには、「この恨み晴らさでおくべきか」がある。
原動力は権力闘争
郵政といえば旧田中派の牙城であり、民営化でこれをぶっ壊そうとした。さらに首相在任中に中国や韓国から抗議されても靖国参拝を続けた。これも旧田中派が強い影響力を持っていた日本遺族会の切り崩しの目的があったと思う。郵政解散の4年前の総裁選では橋本派(旧田中派)の橋本龍太郎氏に圧勝して総裁に就いたが、郵政民営化法案の提出とその後の解散・総選挙の背景にも、旧田中派との壮絶な権力闘争があった。
――小泉執行部は、郵政民営化法案に反対した議員に「刺客」として対立候補をぶつけました。
参議院の採決の前に行われた衆議院の採決で民営化法案は可決こそしたが、造反者がたくさん出てギリギリだった。この後すぐに党内で選挙を取り仕切る総務局長だった二階俊博さんから「小泉総理は参議院が通らなかったら衆議院解散に踏み切るつもりだ。選挙の準備を急いでほしい」と指示された。
造反議員に刺客をぶつける方針が決まり、候補者を緊急公募したところ、数百人もの応募があった。経歴や論文の出来の良し悪しである程度ふるいにかけ、面接をパスした人をどの選挙区に当てはめるか、原案づくりをした。とはいえ、悠長に作業している時間はない。法案の衆議院通過から参議院での採決まで1カ月しかなかったからだ。誰をどの選挙区から出すか大急ぎで決めて、立候補の届け出に必要な書類を集め、ポスターを作った。すべてが突貫作業。それはもう恐ろしい勢いで進めた。
党内は興奮状態にあり、小泉さんや幹事長の武部勤さんら執行部は真珠湾攻撃を目前にした日本軍のようで、もう誰にも止められない。これができたのも、小選挙区制の導入で公認権を党執行部がガッチリ押さえるようになったことが大きかった。
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