
権力闘争の果ての下野

――今回の参院選のように、93年の衆院選も日本新党に代表される新党ブームに沸いた選挙でした。ただ、そもそも自民党は分裂によってすでに選挙前に過半数を割り込んでいましたね。
この選挙では、リクルート事件や東京佐川急便事件と相次ぐ「政治とカネ」の問題を受けてまとめられた、政治改革関連法案の提出を当時の宮沢喜一首相が見送ったことが大きな転機となった。これに反発する野党が内閣不信任案を提出すると、自民党内の一部が賛成に回り可決。そのまま解散(嘘つき解散)、総選挙となった。
法案はそれまでの中選挙区制に代えて小選挙区制の導入を柱としたものだが、中選挙区で2番目、3番目、4番目でかろうじて当選した議員とすれば、1人しか勝ち残れない小選挙区制など、とんでもないと映っただろう。法案に対する党内の抵抗が強く、宮沢さんは提出し切れなかった。
ここに自民党の最大派閥だった経世会内部の権力闘争が絡んでくる。最大の実力者だった金丸信さんを後ろ盾とする小沢一郎さんらと、派閥オーナーである竹下登さん子飼いの小渕恵三さんや梶山静六さんたちのグループが激しく対立していた。内閣不信任案に賛成したのは、経世会から弾かれた小沢さん、そして羽田さんたちだ。それで羽田・小沢グループはそのまま自民党も飛び出して、新たに新生党を立ち上げた。このときの政局は経世会の権力闘争を抜きに語れない。
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