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93年総選挙の教訓——衆参過半数割れでも辞めない石破総裁。自民党は「解党的出直し」ができるのか

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1993年の総選挙では羽田孜・小沢一郎氏らが自民党を飛び出し新生党を結成、55議席を獲得した(写真・時事通信)
自民党は9月2日、「解党的出直しに取り組む」などとする参議院選挙の総括文書を公表。森山裕幹事長は辞意を表明したうえで、進退を石破総裁に預けた。今後、石破茂総裁が続投するのか、それとも総裁選の前倒しで新たなリーダーを選ぶのか、臨時総裁選の是非を問う手続きが本格化する。「選挙の神様」こと自民党元事務局長の久米晃氏は「実施賛成派の熱量が次第に大きくなっていることに注目している」と語る。
一方、野党側では議席を大幅に減らした最大野党の立憲民主党で責任論が噴き出し、日本維新の会では執行部交代に追い込まれた。かたや躍進した国民民主党や参政党の影響力は高まるばかりだ。小選挙区制のもとで実現するはずだった二大政党制どころか、中小政党が乱立する事態となっている。
実は、これに似た政治情勢が生まれたことがある。1993年の衆議院選挙で自民党が過半数を割り込んだときのことだ。日本新党や新生党などの躍進の一方で、最大野党の社会党は撃沈し、やはり中小政党が乱立した。だが、久米氏は「当時と今の状況は似て非なるもの」と言う。93年当時の洞察から浮かび上がる今後の政局は――。

権力闘争の果ての下野

2025年の政局はどう動くのか――。選挙の神様、久米晃が自民党政権の命運をその裏面史から読み解いていく

――今回の参院選のように、93年の衆院選も日本新党に代表される新党ブームに沸いた選挙でした。ただ、そもそも自民党は分裂によってすでに選挙前に過半数を割り込んでいましたね。

この選挙では、リクルート事件や東京佐川急便事件と相次ぐ「政治とカネ」の問題を受けてまとめられた、政治改革関連法案の提出を当時の宮沢喜一首相が見送ったことが大きな転機となった。これに反発する野党が内閣不信任案を提出すると、自民党内の一部が賛成に回り可決。そのまま解散(嘘つき解散)、総選挙となった。

法案はそれまでの中選挙区制に代えて小選挙区制の導入を柱としたものだが、中選挙区で2番目、3番目、4番目でかろうじて当選した議員とすれば、1人しか勝ち残れない小選挙区制など、とんでもないと映っただろう。法案に対する党内の抵抗が強く、宮沢さんは提出し切れなかった。

ここに自民党の最大派閥だった経世会内部の権力闘争が絡んでくる。最大の実力者だった金丸信さんを後ろ盾とする小沢一郎さんらと、派閥オーナーである竹下登さん子飼いの小渕恵三さんや梶山静六さんたちのグループが激しく対立していた。内閣不信任案に賛成したのは、経世会から弾かれた小沢さん、そして羽田さんたちだ。それで羽田・小沢グループはそのまま自民党も飛び出して、新たに新生党を立ち上げた。このときの政局は経世会の権力闘争を抜きに語れない。

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