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「ショー化する卒業式」、異常なこだわりで授業より優先される本末転倒な事態 膨大準備に違和感も"口出しタブー"で年々激化

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儀式に時間をかけることに大きな価値を見いだしている学校は、いまだに何も変えようとはしない。おそらく変化が起こるとしたら、文部科学省が通達を出したときなのだろう。

毎年、卒業式の季節がやってくるたびに、子どもたちの未来が心配になる。

「こういうのがあるから、6年生の担任はいいんだよね」

卒業式が終わると、感極まった子どもたちが担任のもとに歩み寄ってくる。

「先生のおかげで、本当に楽しい小学校生活でした」

多少わだかまりがあった保護者が担任のもとにやってきて、笑顔で感謝の言葉を口にすることもある。

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6年生を受け持っていたある担任が、卒業式の直後に言っていた。

「こういうのがあるから、6年生の担任はいいんだよね」

たしかに、それはそのとおりだ。何かにつけて大変な教職。教員にも賞賛される時間は必要だし、こうした精神的報酬がなければ、やっていられないだろう。

だが、皮肉にもこうした「報われる経験」が、教師の判断を誤らせているようにも思える。 子どもたちや保護者の賞賛を得ようと、卒業式への取り組みをどんどんエスカレートさせる教員が少なくないのだ。

現在では、式の前に子どもたちの学校生活を振り返ったスライドショーを保護者に見せることが普通になっている地域もある。初めにどこかの学校が始めたのだろうが、やがて、「ウチもやろう。きっとみんな喜ぶ」ということになり、地域の学校に広まっていったものと考えられる。

一度始めてしまうと、やめるにやめられない。卒業式に参列する保護者は前の年の様子を聞いている可能性が高く、中止しようとすれば、「ええっ? 今年はスライドショーがないんですか」と批判の的となるのは必至だ。

当然、準備には相当な時間がかかる。だが、時間をかけすぎているように見える同僚に向かって、誰も、「やりすぎですよ」などという指摘はしない。

心の中では、あまり熱心にやってもらうと次(もしかしたら自分)が大変になるな、などと思っていても、「そこまで時間をかけられるなんて、本当に子ども思いなんですね」と、心にもない言葉で励まして、より相手を熱中させる悪循環も生まれてしまう。

前述のとおり、職員室の中には行事の準備に時間をかけることに対する批判はタブーという文化があるから、卒業式の準備に異常なまでの労力を注ぎ込んでいる教員を賞賛せざるをえないのだ。

あれだけの時間と労力をかければ、万全の授業準備ができるはずだ。あそこまでの集中力を発揮すれば、子どもたちのことももっと深く理解できるだろう。だが、それぞれの教室で行なわれる授業は子どもたち以外の視線には晒されない。一方、卒業式のような一大行事は、保護者も含めた衆人環視となる。

だから担当者にしてみると、「ここで手を抜くと大変なことになる」という心理になるのだろう。要するに、子どもたちの成長のために費やされるべきリソースが、学校と教員の評判を維持するために使われてしまっているのだ。現在の異常とも思える卒業式へのこだわりは、私には本末転倒としか思えない。

(注記のない写真:sachinyan / PIXTA)

執筆:公立小学校教諭 齋藤浩
東洋経済education × ICT編集部

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