中高生の科学コンテストでも捏造や改ざん、探究活動に急務の「研究倫理教育」 「自分の研究は問題ない」勘違いで起こる不正も
このような不適切な探究活動とならないよう、中高生に対する適切な研究倫理教育や指導教員対象の実効的な研修を学校組織として実施することが望まれる。
中高生の「国際的な科学コンテスト」でも見られる不正
自然現象の仕組みを解明し、それを応用することで、私たちの生活は豊かになってきた。そこでは過去の知識を基にさまざまな研究活動が行われ、さらに新たな知識の蓄積が繰り返されてきた。
こうした研究活動では、注意深い観察やデータ収集、適切な解析を通して得られた結果を誠実に報告することが前提となる。そのため、研究者は研究倫理にかなった行動をしていることが重要視される。探究学習を通した研究活動の機会がある中高生に対しても、以下のようなコンテストでの事例を見るとき、適切な教育がなされるべきと考える。
実は、人々が注目する国際的な科学コンテストの上位受賞対象の研究でも、捏造、改ざん、盗用といった特定不正行為が指摘されたことがある。過去の論文の画像データを盗用し、自らの研究に合わせて加工するといった事例だ。このような場合は、主催者よりコンテスト出場が取り消される。
一方、研究倫理の研究では、こうした自覚的な不正行為はごくわずかという指摘もある。つまり研究活動の中では、不適切な行為や好ましくない行為などの研究上の問題行為が自覚されず、その報告内容が知識の蓄積に影響を与えてしまうこともある。
とくに研究倫理に対する理解が未熟な段階の中高生が、自身の研究活動には問題ないと勘違いしてしまうことも多い。例えば、自分たちの仮説や期待に合致するように、都合のよいデータや結果のみを報告してしまうことがある。
その中には、野外で研究試料を採集する際に、意図的に大きいサイズのみを集めるという行為も含まれる。試料を採集する研究は、フィールドが近場にある中高生ならではの地道なもので、科学コンテストでよく見られる。しかし、意図的な試料採集が行われていた場合、ほかの研究者がその成果を発展させようとしても、大小さまざまなサイズの試料が見つかることで問題が発覚し、研究費や研究への時間が無駄になってしまう。
また、科学コンテストで自分たちの研究成果をアピールするため、研究データの結果を実際の範囲を超えて過大解釈し、結論を導く行為がある。研究で得られた相関関係について、ほかの要因の関与を検討せず、AがBを引き起こしたというストーリーで初めての発見だと発表してしまうことがある。
審査の過程で指摘されたとしてもすでに提出済みの研究概要がホームページで紹介されることも多く、高校生による新発見というアピール点のみが知識の蓄積として残される危険性がある。このような好ましくない研究活動の背景には、科学的根拠よりアピールを重視するプレゼン指導にも原因があるのだろう。
さらに、研究のアイデアや結果が、中高生自身のものなのか不明確な事例もある。大学や研究機関の専門家からの指導や助言は、研究の質を高めるうえで大切だ。一方、その内容が共同研究の内容であっても、中高生自身の研究として発表され、研究の主導権が誰にあるのか不明確なこともある。一部の国では、国の積極的なサポートにより特定分野の研究が集中的に行われ、国際的科学コンテストでその分野の上位受賞を繰り返す例も見られる。
「知的財産」への対応も必要な時代
18世紀の第1次産業革命から現代のIoT・AIに至るまで、人類の欲望に基づく社会の要請は時代とともに変化し、それを実現する科学技術は大きく発展を遂げてきた。本来は純粋な学問の追究が科学者の使命であったものが、今は科学の成果で社会に貢献することが強く求められるようになっている。
例えば、最近の公的研究費には、研究成果で日本の経済を再興することが暗に示されるようになってきた。最高学府であり教育・研究を主眼に置くべき国立大学の運営にも経団連の意見が反映され、産学連携の推奨や、企業で即戦力となるような人材の育成だけではなく、アントレプレナー育成までも求められるようになっている。
研究成果による起業は、以前は大きな研究成果を上げた教授が主体であったが、その担い手は若手研究者、さらに学生へと拡大してきている。そして、現在では大学入学前の生徒にまで広がっている。例えば、「東北大学発 地域課題解決 アントレプレナーシッププロジェクト」では、全国の高校生・高専生等を対象に、東北・新潟でのフィールドワークを通じてビジネス・アイデアを引き出し、そのアイデアを実行可能なビジネスプランとして落とし込むことで地域創生を図っている。