発達障害の子育てを通じ、情報学研究者の大学教授が痛感した「普通の呪縛」 大学進学は本当に最適解か、自信喪失の恐れも

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しかしここで岡嶋氏は、対処や視点を一般化することの危険性を強調する。

「例えばプログラミングについても、すべての発達障害の人が、必ずしもそれを得意とするわけではありません。僕の子どもも自閉スペクトラム症ですが、『spectrum(連続体)』といわれるとおり、一人ひとりの特性は千差万別です。『こういう子どもにはこうすればいい』といった決めつけや、先回りして過剰な特別扱いをすることは、子どもを傷つけることにもなるので避けるべきです」

だが、日本の教育現場では、これがなかなか難しい。効率重視の一斉授業はいまだ続いており、社会も右にならえの傾向が非常に強い。「普通という呪縛」が、あまりにも強く存在していると同氏は語る。

「僕自身も、保護者としてさまざまな人と関わってきたし、今は相談を受けることもあります。『普通』というのは、親御さんからも医療関係者からも教育関係者からも、本当によく出てくる言葉です。『多様性』もよく聞かれるようになりましたが、みんなが目指したい『普通』は、今も厳然と存在していますよね。イベントで『普通』の子と同じように振る舞えないと判断されて、僕の子どもも挑戦のチャンスを奪われてしまったことがありました。スムーズな進行のためには、それは仕方がないことなのでしょう。でも、全体最適のために一つの挑戦のチャンスが失われることは自覚しておきたいです」

大学進学が最適解か、キャリアパスはどうするか…課題は山積

「普通」の呪縛は強いものの、発達障害の子どもに向けられるまなざしは徐々に変化し、社会は明るい方向に向かっているとも感じている岡嶋氏。だが、その結果として彼らの大学進学率が上がっていることには、複雑な思いを抱いている。

「大学教員として、発達障害の入学者は確実に増えていると感じています。ただ、これが本当に最適解なのかどうかは、じっくり考えてみる余地があるのでは」

大学入試を突破できるだけの学力があるなら、勉強ができることに自信を持っている子どももいるだろう。しかしその自信が、大学生活によって失われてしまう恐れすらある。

「現在の大学のカリキュラムや環境は、発達障害の人に向いているとはいえません。大人数クラスに放り込まれ、先生のサポートもなく、彼らが苦手とするコミュニケーション能力が非常に強く求められる。学歴自体を誇りに思えるタイプならいいのですが、入学後に孤立して、塞ぎ込んでしまう学生も実際に見てきました」

近年は、文部科学省も「子どもの自己決定」の重要さを説いている。だが、とくに発達障害の子どもに対しては、そのバランスを考えて接する必要があるようだ。

「理念としてはすばらしいものですが、子ども自身で自分が楽になる決定を下せるとは限りません。暗喩や相手の感情も読み取れない相手を誘導することは簡単です。自己決定を隠れ蓑にして、むしろ学校や大人が楽になること、得になることを選ばせていないでしょうか。行けるのであれば大学に行かせたいという親の気持ちもとてもよくわかります。でもそれが、『普通』を求める親のエゴであってはいけない。また、大学はどこも台所事情が厳しいので、学力が水準に達していれば、積極的に学生を受け入れます。学校で働く者の一員として、これは自分でも肝に銘じておきたいことです」

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