「言論の自由」とそのゆきすぎは、どこで線引きされるべきか。SNS(交流サイト)を眺めるたび、これこそが現在最も注視すべき問題の1つだと痛感する。
政府による言論弾圧はもってのほかだ。自由闊達な意見が飛び交うことで権力の一極集中を回避でき、イノベーションも起こりやすくなる。寛容な心で議論を重ねることは、民主の根幹だ。
言論の自由に関する歴史
一方、負の側面もある。議論が白熱すれば、そこから誹謗が出てくるかもしれない。他人には気に入られたいし、集団から疎外されるのもイヤだ。不快な発言をする人間には黙っていてほしい──。SNS上の中傷合戦を見ると、評者としては「ゆきすぎた言論の自由」を少々規制してほしく感じることもある。しかし、どうすればよいのか。
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