工学院大附属中高の英語教諭が実践、非認知能力を養う「映像制作」授業の中身 就職と主婦を経て取り組む「生涯学習者の育成」
「先生はいつも最初に種をまいた後は、基本的にノータッチ。映像制作も本気でやるか適当にやるかは自分次第でした。実は当初、ちょっと面倒くさいなあと思っていて、先生に『あんた、やってみ!』と背中を押されてつくり始めたのですが、やってみるとどんどんよい作品をつくりたくなりました。今振り返ると、一度始めたら徹底的にやりたくなる私の性格を見抜いて声をかけてくださったように思います。また、先生はやる気のある子には『こういう映像祭があるよ』などさらなる機会の種を与えてくれます。1人ひとりを見てサポートしてくださったこと、今でも本当に感謝しています」
教員の仕事に役立っている「就職や子育ての経験」
生徒たちの自主性に任せ、教え込むことなく見守るスタイルを貫く中川氏。すべては生徒たちの成長のためだと語る。
「映像制作への出品も入賞が目的ではありません。映像制作の過程では、役割分担してマルチタスクをこなし、社会人にインタビューのアポ取りをするといった機会もあります。その中で、失敗して、揉めて、嫌な気持ちを味わうというのはまさに社会の縮図を体験するようなもの。生涯学習者に育てるには、そうした経験は重要だと思っており、よほどのことがない限りは介入しないようにしています」
社会を強く意識する背景には、自身の多様なキャリアが大きく関係しているのだろう。中川氏は大学卒業後、大手百貨店の大丸に就職し、シューフィッターとして靴の販売に従事。その後、結婚して3人の子どもを出産。夫の転勤に帯同する専業主婦としての生活を経て、理容美容専門学校の英会話講師の職に就いたことを機に英語教員のキャリアをスタートさせた。しかし、なぜ社会復帰先として、教員を選んだのだろうか。
「大学時代に教員免許は取得しましたが、企業を経験したかったので就職し、退職後も教員になろうとは思っていませんでした。でも、専業主婦時代にパートや飲食店で働いてみて、3人子どもがいるから土日に休める仕事をしたいなと思い、教員免許を生かそうと考えたのです」
ハローワークで紹介された専門学校の後は、教員派遣会社に登録して複数の学校に勤務する中で非常勤から正規雇用へとステップアップし、2016年に現在の学校へ。企業への就職や子育ての経験は、今の教員の仕事に役立っていると中川氏は語る。
「当時、百貨店で最もクレームが多いのは靴売り場と言われていたのですが、そこでさまざまなお客様や取引先の方に接したこと、そして子どもを育てながら働くことの大変さを経験したことで、いろいろな立場の人の気持ちが想像できるようになりましたね」
そんな中川氏の目には、教員不足の問題はどのように映っているのだろうか。
「教員は、人の未来をつくる仕事。若い人たちが、教員は幸せな社会の創造に貢献しているのだという実感や期待を持てることが重要ではないでしょうか。そのためには、何のためにあるのかわからないルールや古いやり方はやめることも大切だと思います。もっと教員が広い世界に目を向けて、自由にやれる環境になるといいですよね」
また、かつての自身のように教員免許を持っている主婦は、教育現場に向いていると中川氏は考えている。
「保護者の気持ちも子どもの気持ちもわかることは大きな強み。興味はあるものの家庭と仕事の両立が不安でためらっている人もいるかもしれませんが、今は効率化が図れるICTもあり、時代は変わっています。確かに家族や周囲の協力は欠かせませんが、私は家族を犠牲にするような働き方はしてきませんでした。働き方も含めて新しい学校をつくろうという思いで教育現場に入ってきてくれる人が増えるといいなと思っています」
(文:國貞文隆、注記のない写真:中川氏提供)
東洋経済education × ICT編集部
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