クローズアップされてこなかった「高校普通科の課題」

文部科学省によると、全国の高等学校の数はおよそ4800校で、高校生の数は295万人あまり。そのうちの約3700校が「普通科」で、全体の7割以上を占める217万人が普通科高校で学んでいる

中学校を卒業した人の99%近くが高校等に進学しているが、少子化などによって存続の危機を迎えている高校も多い。また、都市部には私立校も含めた豊富な選択肢がある一方で、地域の高校が0もしくは1校のみという市町村は全国の6割を超える。こうした現状を踏まえ、全国普通科高等学校長会で事務局長を務める佐藤到氏はこう語る。

「中学校の学び直しから始める高校や、難関大などを目指す高校、人気を集める公立の中高一貫校などもありますが、それら以外の多くの普通科高校の課題はなかなかクローズアップされてきませんでした。学校存続のための学級減や再編・統合が進んでいますが、それももう限界でしょう。高校がなくなることには地域の反対もあり、地元の学校を守りたいという住民の声も多い。地域と一丸となって『看板』になる特色を掲げ、魅力を高めていくことが、今の普通科高校にとっての急務なのです」

全国普通科高等学校長会の事務局長である佐藤到氏。名門である神奈川県立横浜翠嵐高校の校長などを歴任してきた
(撮影:尾形文繁)

これらの普通科高校が抱える最大の課題は、生徒たちの学びへのモチベーション維持だ。高校全入時代にあって、一部の子どもたちには、意欲的な高校入学の理由が不足しているのではないか――佐藤氏はそう指摘する。

「高校は義務教育ではありませんが、とくに普通科高校は中学の勉強の延長になってしまいかねない状況があります。工業高校などの専門学科では、実習や専門知識の授業も多く、否が応でも学びの姿勢が変わりますよね。しかし普通科では、中学時代と同じ受け身でも授業が進んでいく。さらにその姿勢のまま大学に入ると、高校までの受け身の学び方と、大学で求められる主体的な学びとに大きなギャップが生じてしまうのです」

こうしたことを防ぐためにも、普通科高校の特色を明確にすることが必要なのだと佐藤氏は言う。なぜ「高校の特色化」が、学びのギャップを抑えることにつながるのか。

「高校卒業後のことまで考えて学校を選ぶのは、多くの15歳にとっては難しい。偏差値で漫然と普通科に決めることが、高校での受け身の学習姿勢を作ってしまうのです。だからこそ、偏差値ではなくやりたいことで学校が選べるように、『この高校ではこんなことができる』という特徴を学校が示す必要があるでしょう。自ら主体的に選んだ学校でなら、生徒たちもより主体的に学ぶ姿勢に変化していくはずです」

※文部科学省「令和4年度学校基本統計(学校基本調査報告書)」より

「普通科信仰」「偏差値だけでの学校選び」から脱却を

普通科が抱える課題はほかにもある。変革に当たっての壁として、佐藤氏はまず「保護者世代の普通科信仰」を挙げた。

「保護者自身も偏差値で高校を選んできた人が多いので、『とりあえず普通科』という意識が根強くあります。1994年度に『総合学科』が生まれた背景には、そうした旧来の価値観と子どもたちのやりたいこととのズレを埋めるという狙いもありました。親世代も知らない未来が来る現代では、偏差値の高い高校から偏差値の高い大学に入ることが最重要課題ではありません。高校入試でも面接が導入されたり、大学入試も変革されたりしている中で、保護者の意識改革も求められていると思います」

もう1つの壁は、キャリア教育の難しさだ。ここには教員の激務という課題も絡んでくると佐藤氏は続ける。

「例えば『環境保護に関わる仕事をしたい』という目標があれば、生徒自身が『教科横断的な学び』の必要性に気づき、それによって学ぶ姿勢も主体的なものになるでしょう。キャリア教育が機能すればこうした効果も生まれるはずですが、文科省が推進するキャリアパスポートの取り組みには小中高の連携が欠かせないし、教員の意識と知識のアップデートも重要になってくる。多忙を極める現場で実現していくのはかなり困難です」

教員が学ぶ余裕のない学校では、キャリア教育に充てるべき時間が、単なる進路指導に消費されてしまうこともある。佐藤氏はすべての問題解決のために、「今の学校にはもっと余白が必要」だと話す。

「世間でも働き方改革が叫ばれていますが、先生方は今も、その流れに逆行するぐらい頑張っています。その努力はこれ以上ないほどのものだと思います。しかしそれでも学校には『余白』がない。休憩できる場所や休みの先生のフォローをする時間、想定外のことに対応する余力もなく、先生も子どもも追い詰められています。これでは学校の魅力化、特色化は進まないでしょう」

主体的な学びの姿勢を育むことが、現代の普通科の役割

余白を作り出しながら、普通科が越えなければならない壁がもう1つある。これは従来の普通科のあり方と定義にも起因する、根源的な課題のようだ。

「各校の魅力化と特色化を進めながら、一方で普通科の学びの共通性は確保していかなければなりません。差別化を図るために、まず『普通科で学んだすべての生徒が等しく身に付けるものとは何か』を示す必要があるわけです。普通科は生徒が多いことも特徴ですが、その中でも今日求められている『個別最適の学び』も実現していかなくてはならない。これらの課題を考えるとき、私たちは『そもそも普通科とは』という問いに立ち返る必要があると思いませんか」

高校の「総合的な探究の時間」は、佐藤氏が重視する高校の特色づくりにも、生徒の主体性の育成にも寄与する取り組みだ。

「安易な調べ学習ではなく、自ら課題を発見し解決する力を育む探究学習は積極的に取り組んでほしいと思います。地域と連携した活動を行う学校も多いですが、そうするとその土地ならではの特色も打ち出しやすくなります。地域や社会に果たすべき役割を校長先生がしっかり受け止めて、学校の教育課程に生かしている好例もたくさんあります」

偏差値で何となく普通科高校を選び、その先でも偏差値で何となく大学を選んできた大人は少なくないだろう。それはやがて、何となく仕事を選ぶことにもつながりかねない。だが高校で「学びの姿勢の転換」ができれば、この連鎖を断ち切ることができる。普通科は本来、多くの学びに接続する幅広い可能性を持ったものだったはずだ。

「高校に進むことが当たり前となった現在、普通科には『何のために入学したのか』が不明瞭な生徒がたくさんいるでしょう。今の普通科に求められている役割は、そうした生徒たちの学ぶ姿勢を変えることだと考えています」

中学までの受け身を脱して、高校生として主体的に学ぶとはどういうことか――生徒自身が考えて変わろうとする過程にこそ、課題発見のチャンスもあると佐藤氏は言う。主体的な学びの姿勢を身に付けようとすること自体が、問いを立て、自ら学ぶ力を伸ばすというサイクルを生むのかもしれない。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:すとらいぷ / PIXTA)