ChatGPTの激震で「大学入試」はどう変わる?4つの博士号を持つ冨田勝が今思うこと 生成AIの普及で問われる「人間としての価値」

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「ChatGPT」などの生成AIに注目が集まる中、2023年7月4日、文部科学省は「初等中等教育段階における生成 AI の利用に関する暫定的なガイドライン」を公表した。人工知能(以下、AI)の進化を受け、教育への影響を懸念する教員もいるのではないか。そこで今回、鶴岡サイエンスパーク代表理事、慶応大学名誉教授の冨田勝氏に話を聞いた。冨田氏は米カーネギーメロン大学でAIの研究に従事し、その後、生命科学などにも研究の領域を広げたという、4つの博士号の持ち主だ。さらに慶応大学湘南藤沢キャンパス(以下、SFC)では日本初のAO入試の導入にも関わった。そんな冨田氏が考える、AI時代の教育や入試のあり方とは。

「シンギュラリティー」は絶対に訪れない

――現在話題の生成AI「ChatGPT」について、どうご覧になっていますか。

一言で言えば、過大評価されていると感じます。ChatGPTは、質問の意味をよく理解しよく考えて回答しているような印象があります。しかし実体としては、意味を理解しているわけではなく、大量の文字列データを学習し、入力された質問の文字列に対して最適と思われる文字列を作成して出力しているにすぎません。

現状のAIというものは、簡単に言えば、大量のデータを学習して、統計と確率によって最適な何かを選ぶというものなのです。それ以上でもそれ以下でもありません。

一般社団法人鶴岡サイエンスパーク代表理事、慶応大学名誉教授の冨田勝氏

――それほどAIを恐れる必要はないということですか。

皆さんは、あたかもAIが知的で意思を持って、そのうち人間の総知力を超えるシンギュラリティーが訪れ、人間社会を凌駕するような危険な状態になると心配している人もいるかもしれませんが、私はそんなことは絶対にないと考えています。AIが心や意思のようなものを持ち、いずれ人間社会を支配するのではないかといった懸念は、実はコンピューターが登場した1950年代からありました。それが「第1次AIブーム」だと私は捉えています。

ところが、ブームは70年代には冷え込みます。なぜなら、過度な期待があったからです。例えば、自動翻訳は2~3年で実用化できる、チェスも10年以内には人間が勝てなくなると予言されていました。ほかにもイライザというカウンセリング向けの対話型AIが登場し、体験した人は「本当は裏に医師がいるのではないか」と勘繰ったそうです。しかし、どれも10年経っても期待以上の成果を生みませんでした。

多言語国家の欧州も、自動翻訳に期待をかけて莫大な国費を投入しましたが、いつまで経っても十分な翻訳ができなかったため、結局撤退しました。50~60年代には、AIは期待された学問だったのですが、70年代には「役に立たない学問」という烙印を押されるようになってしまい、第1次AIブームは終焉を迎えました。

私が米カーネギーメロン大学の大学院に留学したのは、その後の81年。ちょうど同大を中心に、「第2次AIブーム」が起こり始めた時期でした。ニューラルネットワークという数理モデルの登場によって、自ら学習していくコンピューターへの期待が高まったのです。

日本でも旧・通商産業省を中心に「第五世代コンピュータ」という国家プロジェクトを大々的に立ち上げましたが、やはりこのときも過度な期待に見合う成果はなく失望に終わり、90年代に入るとまたもや冬の時代になってしまいました。

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