ChatGPTの激震で「大学入試」はどう変わる?4つの博士号を持つ冨田勝が今思うこと 生成AIの普及で問われる「人間としての価値」
――そして再び、第3次ブームがやってきます。
2010年代に入ると、皆さんもご存じのようにディープラーニングが話題になりました。そしてChatGPTが登場し、今は「第3次AIブーム」の真っただ中です。しかし、お気づきかと思いますが、AIブームは20~30年周期で起こっています。30年も経つと世代交代が起こり過去のことを忘れてしまい、若い人たちが再びAIブームを引き起こすのです。
AIという学問は、非常に夢があり、人類が取り組むべき領域だと思います。実際、ブームに関係なくAIの研究者は研究を続けてきました。そのため音声認識や画像処理、対話システム、囲碁・将棋など、個別分野では着実に進化してきました。
しかし、どんなに個別技術が発展したとしても、これらをひとまとめにすることで、人間のように意思や心を持つAIができるかといえば、それはまったく別の話です。そうした意思を持つAIは、まったくできていないし、今後もできないと私は思います。そもそも現代科学をもってしても、意識や心とは何なのかという基本すらまったくわかっていないからです。少なくともデジタルコンピューターが意識や心を持つことはおそらく不可能で、量子コンピューターやバイオコンピューターといった、まったく新しいパラダイムが必要なのではないかと思います。
「人間性の本質」がAIの普及によってあぶり出される
――今回のブームの火付け役であるChatGPTは、教育にどんな影響を与えるでしょうか。
日本の戦後教育は、テストの総合点で評価・序列化されてしまうので、得意なものを伸ばすよりも、苦手なものを克服することのほうが優先されてきました。受験のために子どもたちはねじり鉢巻きで勉強するようになりましたが、物事の本質を考える必要がない。子どもたちも、なぜ国語・算数・理科・社会を勉強しているのかと聞かれたら、点数を取るためとしか答えられないでしょう。そして、試験のためだけに勉強したことは、試験が終わったら忘れてしまいます。
そんな勉強はよくないと大半の大人もわかっていますが、成績で序列がつけられてしまうので、いまだに子どもにいい点を取らせることを最重要視するという、昭和のマインドがなかなか変わりません。しかし、筆記試験で正答することは、AIが最も得意とすることです。今話題のChatGPTは、近い将来、間違いなく大学共通テストで満点を取るでしょう。それって本当に人間がやるべきことでしょうか。

戦後に奇跡的な復興を遂げた日本ですが、当時の日本人はどんな教育を受けていたと思いますか。ちょうど私の父の世代ですが、満足に学校に行けていないし、手厚い教育を受けたわけでもない。食料は不足し、灯火管制の中で見上げる星空が唯一のエンターテインメントだったと、父は言っていました。しかし彼らは間違いなくみんな「この戦争が終わっても続いても、自分はどうやって生きていけばよいのだろうか」「そもそも人間にとって生きることは何か、限りある時間の中で何をすべきか」といった人生の本質というものをよく考えていたと思うのです。
一方、現代人は忙しすぎて考える暇がない。大人も子どももやることが山ほどあって、日々目先の数字を追いかけているうちに、気が付くと年を取っている。でも、できることなら自分ならではの人生を生きたい、好きなことを仕事にしたいと思っている人は多いのではないでしょうか。人間は誰しも得意不得意があります。みんなが同じことをするのではなく、各人が得意なことを生かして役割分担したほうが、社会にとってもプラスになるはずです。


















