「シンギュラリティー」は絶対に訪れない

――現在話題の生成AI「ChatGPT」について、どうご覧になっていますか。

一言で言えば、過大評価されていると感じます。ChatGPTは、質問の意味をよく理解しよく考えて回答しているような印象があります。しかし実体としては、意味を理解しているわけではなく、大量の文字列データを学習し、入力された質問の文字列に対して最適と思われる文字列を作成して出力しているにすぎません。

現状のAIというものは、簡単に言えば、大量のデータを学習して、統計と確率によって最適な何かを選ぶというものなのです。それ以上でもそれ以下でもありません。

一般社団法人鶴岡サイエンスパーク代表理事、慶応大学名誉教授の冨田勝氏

――それほどAIを恐れる必要はないということですか。

皆さんは、あたかもAIが知的で意思を持って、そのうち人間の総知力を超えるシンギュラリティーが訪れ、人間社会を凌駕するような危険な状態になると心配している人もいるかもしれませんが、私はそんなことは絶対にないと考えています。AIが心や意思のようなものを持ち、いずれ人間社会を支配するのではないかといった懸念は、実はコンピューターが登場した1950年代からありました。それが「第1次AIブーム」だと私は捉えています。

ところが、ブームは70年代には冷え込みます。なぜなら、過度な期待があったからです。例えば、自動翻訳は2~3年で実用化できる、チェスも10年以内には人間が勝てなくなると予言されていました。ほかにもイライザというカウンセリング向けの対話型AIが登場し、体験した人は「本当は裏に医師がいるのではないか」と勘繰ったそうです。しかし、どれも10年経っても期待以上の成果を生みませんでした。

多言語国家の欧州も、自動翻訳に期待をかけて莫大な国費を投入しましたが、いつまで経っても十分な翻訳ができなかったため、結局撤退しました。50~60年代には、AIは期待された学問だったのですが、70年代には「役に立たない学問」という烙印を押されるようになってしまい、第1次AIブームは終焉を迎えました。

私が米カーネギーメロン大学の大学院に留学したのは、その後の81年。ちょうど同大を中心に、「第2次AIブーム」が起こり始めた時期でした。ニューラルネットワークという数理モデルの登場によって、自ら学習していくコンピューターへの期待が高まったのです。

日本でも旧・通商産業省を中心に「第五世代コンピュータ」という国家プロジェクトを大々的に立ち上げましたが、やはりこのときも過度な期待に見合う成果はなく失望に終わり、90年代に入るとまたもや冬の時代になってしまいました。

――そして再び、第3次ブームがやってきます。

2010年代に入ると、皆さんもご存じのようにディープラーニングが話題になりました。そしてChatGPTが登場し、今は「第3次AIブーム」の真っただ中です。しかし、お気づきかと思いますが、AIブームは20~30年周期で起こっています。30年も経つと世代交代が起こり過去のことを忘れてしまい、若い人たちが再びAIブームを引き起こすのです。

AIという学問は、非常に夢があり、人類が取り組むべき領域だと思います。実際、ブームに関係なくAIの研究者は研究を続けてきました。そのため音声認識や画像処理、対話システム、囲碁・将棋など、個別分野では着実に進化してきました。

しかし、どんなに個別技術が発展したとしても、これらをひとまとめにすることで、人間のように意思や心を持つAIができるかといえば、それはまったく別の話です。そうした意思を持つAIは、まったくできていないし、今後もできないと私は思います。そもそも現代科学をもってしても、意識や心とは何なのかという基本すらまったくわかっていないからです。少なくともデジタルコンピューターが意識や心を持つことはおそらく不可能で、量子コンピューターやバイオコンピューターといった、まったく新しいパラダイムが必要なのではないかと思います。

「人間性の本質」がAIの普及によってあぶり出される

――今回のブームの火付け役であるChatGPTは、教育にどんな影響を与えるでしょうか。

日本の戦後教育は、テストの総合点で評価・序列化されてしまうので、得意なものを伸ばすよりも、苦手なものを克服することのほうが優先されてきました。受験のために子どもたちはねじり鉢巻きで勉強するようになりましたが、物事の本質を考える必要がない。子どもたちも、なぜ国語・算数・理科・社会を勉強しているのかと聞かれたら、点数を取るためとしか答えられないでしょう。そして、試験のためだけに勉強したことは、試験が終わったら忘れてしまいます。

そんな勉強はよくないと大半の大人もわかっていますが、成績で序列がつけられてしまうので、いまだに子どもにいい点を取らせることを最重要視するという、昭和のマインドがなかなか変わりません。しかし、筆記試験で正答することは、AIが最も得意とすることです。今話題のChatGPTは、近い将来、間違いなく大学共通テストで満点を取るでしょう。それって本当に人間がやるべきことでしょうか。

戦後に奇跡的な復興を遂げた日本ですが、当時の日本人はどんな教育を受けていたと思いますか。ちょうど私の父の世代ですが、満足に学校に行けていないし、手厚い教育を受けたわけでもない。食料は不足し、灯火管制の中で見上げる星空が唯一のエンターテインメントだったと、父は言っていました。しかし彼らは間違いなくみんな「この戦争が終わっても続いても、自分はどうやって生きていけばよいのだろうか」「そもそも人間にとって生きることは何か、限りある時間の中で何をすべきか」といった人生の本質というものをよく考えていたと思うのです。

一方、現代人は忙しすぎて考える暇がない。大人も子どももやることが山ほどあって、日々目先の数字を追いかけているうちに、気が付くと年を取っている。でも、できることなら自分ならではの人生を生きたい、好きなことを仕事にしたいと思っている人は多いのではないでしょうか。人間は誰しも得意不得意があります。みんなが同じことをするのではなく、各人が得意なことを生かして役割分担したほうが、社会にとってもプラスになるはずです。

今回のChatGPTのインパクトを機に、「正解を見つける」といった作業がAIに置き換わるようになれば、ようやくそうした本質に目が向けられるようになると思います。例えば、今は「ChatGPTを使ったらこんなこともできた」と沸き立っていますが、そのうちAIの力だけで作った作品への興味は減っていくでしょう。どんな時代になっても、人間が作ったり考えたりするものには必ず人間的なストーリーが背景にあり、そこに人は感動したり感謝したりするのだと思います。

そうした人間性の本質がAIの普及によってあぶり出され、人間としての価値はどこにあるのかが問われるようになるでしょう。だからこそ、自分が好きなものや得意なものを見つけて伸ばしていき、「人間としての自分の魅力はこれだ」と自覚できる人を増やすことが、これからの教育では大事になっていくと思います。

入試の主流は総合型選抜へ、好きなことは飽きるまでやること

――その流れの中で、大学入試はどう変わっていくでしょうか。

今後、貴重な10代の成長期を過度な受験戦争とその準備に費やすことがいかにもったいないかということにみんな気づくと思います。大学入試も総合型選抜(旧・AO入試)が主流になるでしょう。

1990年にSFCが日本で初めてAO入試を導入しましたが、私も導入に関わった1人です。AO入試は、いわゆる学力だけでなく、高校時代の活動実績や、大学で何をしたいのかなどを書類と面接で人物を総合的に評価するもので、本来これが適切な人の選び方だと思います。

当時、SFCのAO入試は「公平性がない」「学力低下を招く」「客観性がない」「指導の仕方がわからない」といった批判を受けましたが、今では国立大をはじめ、ほとんどの大学で総合型選抜が行われています。総合型選抜や学校推薦型選抜で入学する割合が過半数を超えたともいわれており、従来の一般入試は少数派になりつつあります。

今も進学校や予備校の先生方には、「逃げずに一般入試で勝負しろ」と言って、総合型選抜を「裏道」のように考えている人も少なくありません。でもこれからは、総合型選抜の経験者の数が増え、彼らが教育現場で校長先生になったり、教育行政で教育長になったりしていくので、必ず変わりますよ。

自分の好きなものや得意なものは何か、自分の人生をどう考えているのか。それを前提として大学で何をやりたいのか、学びたいのか。そうしたストーリーを語れることが、今後はさらに入試で問われるようになり、その準備をすることは、その生徒の人生においてとても貴重な時間となるでしょう。

――文部科学省も「初等中等教育段階における生成 AI の利用に関する暫定的なガイドライン」を公表しましたが、学校現場における生成AIの活用や教員が持つべき視点についてどうお考えですか。

まず活用しないという選択肢はないでしょう。活用しないという選択は電卓を使わないと言っていることと同じです。確かに現状は、生成AIのアウトプットに誤情報が紛れ込んでいる点や、著作権に関するグレーな部分は、当然留意し是正すべきです。しかし将来は、ビジネスや教育現場でも生成AIを適切に使うことが当たり前になっていくはずです。

もし今、私が教員なら、「生成AIを使って〇〇しなさい」という課題を出します。生成AIのアウトプットにおける問題点を考察して、最終的に自分の言葉で説明させるような取り組みをすると思いますね。

一斉授業で教科書を勉強することも必要ですが、正解のない時代に子どもにとってもっと重要なのは、何がやりたいのかを考えること、好きなことは中途半端にせず飽きるまでやることだと思います。

ちなみに私は中学1年生の時、1人でトランプゲームのポーカーを5000回やって統計を取り、リポートを提出したところ、先生がとても面白がってくれて教員室でも話題になりました。どんなマニアックなことでも徹底的に深掘りすると感動してくれる人がいるというこの原体験が、私の研究者人生につながっています。

親御さんや先生方には、子どもたちが自分のやりたいことや好きなことを見つけて深掘りできるようなサポートをしていただけたらと思います。大人から見てくだらないと思うことでも、それがその子の人間的魅力の一端なのかもしれません。

冨田勝(とみた・まさる)
一般社団法人鶴岡サイエンスパーク代表理事、慶応大学名誉教授
1957年東京生まれ。慶応大学工学部卒業後、米カーネギーメロン大学に留学し、AIの分野で修士課程と博士課程修了。カーネギーメロン大学助手、助教授、准教授、同大学自動翻訳研究所副所長を歴任。90年より慶応大学環境情報学部助教授、教授、学部長を歴任。2001年より慶応大学先端生命科学研究所所長を務め、23年3月に退任。その間、ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズを創業して13年東証マザーズに上場し、Spiber、サリバテック、メタジェンなど計9社の慶応鶴岡発ベンチャーを創業支援。21年より一般社団法人鶴岡サイエンスパーク代表理事。23年4月より慶応大学名誉教授。取得学位はPh.D(情報科学)、医学博士(分子生物学)、工学博士(電気工学)、政策メディア博士(地方振興策)。米国National Science Foundation大統領奨励賞、文部科学大臣表彰科学技術賞など受賞多数

(文:國貞文隆、写真:鶴岡サイエンスパーク提供)