俳優・佐藤二朗「大反響だったつぶやきのウラ側」 息子になってほしいと願う大人の姿

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僕は20年前、小劇場の舞台に立っていました。僕が28歳から30歳までの間、「自転車キンクリート」という団体に所属していました。3年間という短い期間でしたが、 その団体で一番下っ端だった僕は、そこで多くのことを学びました。

その団体に久松信美という先輩の男優がいました。もちろん現在も映像や舞台で活躍する久松さんは、当時、僕にとって雲の上のような存在でした。自転車キンクリートに所属していた頃も、ずいぶん久松さんにはかわいがっていただき、大変お世話にもなりました。

「二朗〜、お前、売れやがって、この野郎!」

その後、僕は31歳の時に映像主体の事務所に移り、大変ありがたいことに、僕が本来やりたかったドラマや映画に出ることが多くなりました。

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僕が35歳の時、偶然久松さんと電車で会いました。当時久松さんは42歳。「お〜じろ〜」、昔と変わらぬ人懐っこい笑顔で久松さんは接してくれました。電車の中で久松さんと昔話に花を咲かせていると、大学生くらいの男の子が近付いてきました。「佐藤二朗さんですよね?」。彼は僕に握手を求めてきました。握手して彼が去ったあと、少し躊躇しながら久松さんの顔を見ました。その時の久松さんの顔は恐らく一生忘れません。「二朗〜、お前、売れやがって、この野郎!」。久松さんは本当に、本当に、本当に嬉しそうな顔でそう言ったのです。

僕が久松さんなら、絶対にあんな顔で笑えないと思いました。ケツの穴が小さい僕は、後輩のその姿を見たら、「悔しい」とか「嫉妬」の感情で、心が満たされると思います。少なくとも、あの時の久松さんのような、あんな顔は僕には絶対にできない。本当に、そう思います。

先に書いたツイッターの内容は、実はこの時の久松さんのことを思って書きました。「人の不幸をちゃんと悲しむ。人の幸せをちゃんと喜ぶ」。息子にこうなってほしいという大人の姿は、そのまま、僕自身が憧れる大人の姿なのかもしれません。

(初出:AERA dot.2018/11/11)

佐藤 二朗 俳優

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さとう じろう / Jiro Sato

1969年生まれ、愛知県出身。俳優、脚本家、映画監督。96年に演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ、全公演で作・出演。近年は『ひきこもり先生』『鎌倉殿の13人』(NHK)での演技が話題になり、『歴史探偵』(NHK)の所長、『超逆境クイズバトル!! 99人の壁』(フジテレビ)の主宰も務めるなどマルチな才能を発揮。原作・脚本・監督を務めた映画『はるヲうるひと』(2021)は海外の映画祭で最優秀脚本賞を、主演映画『さがす』(2022)は国内の映画祭で最優秀男優賞を受賞。23年8月に『リボルバーリリー』(行定勲監督)、24年春に主演作を含む映画3作の公開が控える。Twitterフォロワーは200万人超。

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