植田体制に変わって初の金融政策決定会合が4月27、28日に開かれる。議題と目されるのが、”長期的な視点”で金融緩和の軌跡を検証することだ。
植田和男日銀総裁は4月10日の就任会見で、「25年間の緩和全体の点検・検証があってもいい」と述べ、四半世紀の政策運営を総括検証する考えを示した。
四半世紀は非伝統的金融政策とほぼ重なり、1999年のゼロ金利が起点となる。ここでは総括検証のプロローグとしてゼロ金利に至る過程を解説したい。1998年の日銀法改正前の情報開示は不十分で、政策展開を追うのが容易ではないからだ。
不明瞭な1998年以前の内実をたどる
日銀が金融政策決定会合を事前に設定した日程で開催し、詳しい議論内容を議事要旨などで公表するようになったのは、1998年の改正日銀法の施行前後からだ。それまでは、金融政策が変更される場合に政策委員会が臨時で開催され、政策決定の声明文が公表されるだけだった。対外公表を前提とする議事要旨のようなものは存在しなかった。
つまり、法改正前の政策運営は、日銀のホームページで政策変更の軌跡は追えるものの、詳細な議論内容はわからない。当然ながら「展望リポート」も存在せず、経済情勢の判断もつかみにくい。
多くの読者にとって旧法時代の政策運営は曖昧模糊としたものであり、日銀の金融政策は突如としてゼロ金利で始まった、という印象も受けるであろう。
言うまでもなく、ゼロ金利は日銀が絶大な効果を狙って積極導入したものではない。1980年代後半のバブルが崩壊して以降、長期低迷の果てにゼロ金利に追い込まれた、というのが実情だ。
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