小2で単身中国留学した起業家・平原依文さん、「教育で社会を変える」の真意 目指すのは「世界中の境界線を溶かす」こと

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「日本で行われているのは、“答えを与えられる教育”だと思います。でもカナダでは、自分で答えを考え、その理由をちゃんと説明できればよしとされます。自ら考えることを重視した教育ですね。メキシコに留学した高校1年生の時は、教育は質も大事だが量も大事だということを実感させられました。私立の学校に通っていたのですが、そばにあった公立の学校は雰囲気が全然違う。不思議に思って、その学校を見学しに行くと、勉強のために学校に通っている子どもは少なく、給食を家に持ち帰るために来ている子がたくさんいたんです。すべての子どもに教育を届けたいと思うようになりました」

カナダ留学時の友人と(左上)、メキシコ留学時のホストブラザーとの1枚(左下)、スペイン留学中の写真(右)

企業の奨学金を利用したり、自身でアルバイトもしながらメキシコで学んでいた平原さんに、突如「お父さんが病気だから帰ってきて」という連絡が母親から入る。帰国の途に就き成田空港に降り立ったのは2011年3月11日。東日本大震災で公共交通機関はすべてストップしていて、ヒッチハイクで帰宅することにしたという。このとき車に乗せてくれた高齢女性の言葉が、平原さんのその先の進路を決めることとなる。

「留学先から帰ってきたことを話すと、その方に『メキシコだったら知らない人の車に乗ることができた?』と尋ねられました。そして『敗戦国である日本が、なぜ今こんなにも安心・安全な国なのか、どのようにして平和をつくり上げてきたのかについても学んでほしい』と言われました。そこで大学は海外ではなく、日本の早稲田大学を選びました。在学中は、カタルーニャ独立運動が盛んになっていたスペインに興味を持ち、スペインにも留学しました」

教育分野での日本の課題は3つある

大学卒業後は、ジョンソン・エンド・ジョンソンに入った。父親が製薬会社で働いていたこと、その父をがんで亡くしたことに影響を受けての決断だったという。

「父のような人を増やしたくない、そのために患者さんの治療の選択肢を増やしたいと考えました。仕事は楽しく、半年で管理職に昇進しました。2年目には海外赴任の話もいただいたのですが、亡くなった父が『教育で社会を変えたい』という私の夢を応援してくれていたことを思い出して……。もともとやりたかった教育事業で起業をしようと辞表を出しました。そうしないと、この会社にずっとい続けることになりそうだと思ったからです」

すぐに起業しようと考えていたものの、その頃にちょうど元グーグルのピョートル・フェリクス・グジバチ氏に再会し、彼の経営するプロノイア・グループを手伝わないかと誘われる。そこでコンサルティングやマーケティングなど幅広い仕事を経験した後、2019年にWORLD ROADを立ち上げて共同代表に就任(代表は昨年末に退任)。22年にはHI(ハイ)合同会社を設立した。

2018年オランダで開催された「青年版ダボス会議」に参加する平原さん。One Young Worldと呼ばれ、次世代リーダーが集まる
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