「自分と、自分の選択を信じる」という強さ
話していると、なぜかこちらも元気になってくるような気がした。今年、地方の私立進学校である徳島文理高等学校から米スタンフォード大学への入学を決めた松本杏奈さん。物おじせずによく話す、元気で明るい女の子だ。そんな女の子が、米国の名門大学を目指そうと本格的に考え始めたのは高校2年のころだった。
「当時の自分にとっては、米国の名門大学を目指すのは“これから宇宙飛行士になる”というくらい実現の可能性が低いものでした(笑)。自分でも半分冗談で、現実的な選択肢ではないかも、とも思っていました」
自分に合った環境で、自分の力を試してみたい。それには米国の大学が合っているのではないか。そんな思いから、米国の名門大学を意識するようになったのだという。
米国の大学を受験するには、全米統一学力試験や英語力の試験のほかに、高校の成績、推薦状3通、課外活動、受賞歴、パーソナルエッセーが必要になる。それらを基に大学側は総合評価を行うのだが、そこで重要視されるのは受験者の性格と校風が合うかどうかなのだという。松本さんは続けた。
「受験に対する思いが、よりリアルになったのは、『アジアサイエンスキャンプ2019』に参加したときのことでした。『アジアサイエンスキャンプ』とは、アジア各国のトップ理系人材が集まり、ノーベル賞受賞者が次世代のノーベル賞受賞候補になりうる人材を育成するキャンプのことです。そこに参加していた各国代表の子たちが、当たり前のように米国の名門大学を目指していることを知りました。また、キャンプに参加されている世界の研究者の方々と話しても、当たり前のように米国の名門大学への入学を勧めてくれる。そのうちに、自分には無理だと思っていた気持ちが、徐々にいけるかも?と、心のハードルがどんどん低くなっていったのです」
米国の大学が自分に合いそうだな、というきっかけが、「アジアサイエンスキャンプ」に参加したことで、現実味を帯びてきた。それが志願のきっかけだった。そこからは、積極的に行動を開始した松本さん。
「米国の大学の中で、具体的にどこが自分に合う大学なんだろう。そう思って、リサーチを開始しました。大学にすでに、通っている先輩や、教授に話を聞いて、大学の校風を調べて行ったのです。中には、SNS等で突然話しかけたりして、お話をお聞きした方もいます」
しかし、松本さんのチャレンジは、容易には進まない。
米国の大学受験にも有利であろう『アジアサイエンスキャンプ』への参加を決めたときにも、周囲の大反対を受けた。学校の先生や周りからは「本当の科学のトップ層を見て、現実を知って、諦めをつけてこい」と言われたそうだ。
だが、松本さんは、超プラス思考だった。「行って、現実を見て、逆に空の低さ」を知ったのだ。しかも「雲の上の人に見える研究者も同じ人間。努力すれば自分にも手が届くかもしれない」。そう思って自分の目標にチャレンジすることになった。
「とんでもないこと、してもうた」スタンフォードに合格した、あの日
そこから持ち前のプラス思考と、圧倒的な努力を重ね、松本さんは今年、スタンフォード大学のほか、カリフォルニア大学(UC)バークレー校、UCサンタバーバラ校、ボストン大学、ローズハルマン工科大学、ケース・ウェスタン・リザーブ大学など計6校への合格を勝ち取った。
「すごいね、と言っていただくのですが、19校に出願して、6校に合格、実は13校は不合格だったのです。米国の大学は、本当に優秀な人たちが受験に挑んでくる。大学が求める最低ラインを超えた先は、本当に受験生と大学とのマッチングで選んでいると感じました。優秀な受験生たちと戦うために、オリジナルの戦い方を研究し、ものすごく努力をしても13校からは不合格通知が届いたのです。ですので、3月末にUCバークレーから合格通知が届いたときには、本当にうれしかったですね。UCバークレーの合格者説明会にも喜々として参加していました。スタンフォードの合格は、やはり難しいと思っていましたし、UCバークレーに通うつもりだったんです。それが4月に入ってから、なんとスタンフォードから合格通知が届いた。ウェブで紙吹雪が飛び交う合格画面を見たときは、もう放心状態でしたね。驚きすぎて『とんでもないこと、してもうた』とつぶやいたほどです(笑)」
「地方女子」でも「海外大学」に行ける!
加えて、松本さんの道のりには、首都圏の高校生とは異なる、地方なりのハンディもあったはずだ。それを松本さんはどのようにはね返し、克服していったのだろうか。
当初、米国の名門大学を目指すと宣言したとき、松本さんは周囲のほとんどから反対された。そこで周りを納得させるためにも、進路の選択肢については、プランDまで用意した。米国の大学進学が、たった一つの望みではなかったのだ。
「もしダメなら、ほかの選択肢もある、研究もどこでだってできる」。
そう思っていたという。
同一線上に、さまざまな選択肢があった。その中には、すべての大学に落ちた場合は、吉本興業に入って芸人を目指すという選択肢もあったのだという。
ダメならダメで、その結果を引き受ける。選択肢がたった一つなわけじゃない。軽やかでいて、芯の強いポジティブさが、彼女の強さのような気がした。
「受験は、失敗しても成功しても自分の責任です。どちらにしても結果を引き受けなくてはいけないのに、日本の学校教育では進路先について生徒の自主性を尊重しない傾向がある気がしました。実際、私も興味がないのにほかの進路を強制されそうになったことがあります。でも、どんな進路の選択をしようが、本来それを実行してリスクを取るのは本人なんですよね」
だからこそ、と松本さんは続ける。
「決断は、自分がする。後悔がないよう自分で決断したい。そう思いました。そのため、反対する周囲には選択肢を用意し、自分一人で説得して回りました。それでも反対する声も多かったですが、自分のことを理解してくれる大人たちも一定数いた。とくに高校3年生のときの担任の先生がサポートしてくれたのは大きかったですね。最終的には、私が海外の大学に進学する前例をつくることで、後輩たちにも新たな可能性を示したい。そう思って、未踏の地を切り開いていきました。大変ではありましたが、新しいスタンダードをつくるようで楽しかったですね」
既存の“物差し”で戦えないなら“物差し”をつくる!
これだけ行動力がある松本さんだが、海外在住経験はなく、本格的に勉強して成績を伸ばしていこうと自覚したのは高校に入ってからなのだそうだ。また、都心の高校生が通うような留学専門の受験塾にも、学費が高くて通うことができなかった。唯一頼ったのは、ウェブで海外の大学進学を無料で支援する団体「atelier basi」のサポートだけだった。
「海外に住んだこともないし、地方から合格なんて無理。そんな声を、飽きるほど聞きました。自分自身もそんな現実を見ずに走り続けることが、いちばん大変だったのも事実です。いろんなことが大変すぎて、何が大変だったか、もう言えないくらい。現実を見ずに、ただ一人で突っ走ることは本当につらかったのです」
この間、松本さんは「アジアサイエンスキャンプ」のほか、国立情報学研究所グローバルサイエンスキャンパス「情報科学の達人」プログラムや「東京大学グローバルサイエンスキャンパス」にも参加した。また現在はNPO化し、理事として関わっている、IHRP実行委員会(現IHRP)を友人と一緒に立ち上げた。IHRPでは、昨年度「海洋プラ問題を解決するのは君だ!~高校生×研究×社会問題解決プログラム~」を開催している。自分の興味や関心を、行動に変えていった。同時に、さまざまな実績を積み上げていったのだ。そこには戦略があった。
「世界には本当にすごい人たちがたくさんいます。とくに米国の名門大学の受験の合格者の中には、国際的な受賞歴があるなど、輝いた経歴がある人がゴロゴロいます。私には、そのような受賞歴はありませんでしたが、とにかく熱意はあった。熱意は決して負けていないと思っていました。輝く受賞歴を持つ彼らと同じ土俵で戦うならどうすればいいか。熟考した結果、私は“自分で新しい物差しをつくればいい”と考えたのです。受賞歴で勝てないならエッセーで勝とう。熱意で勝とう。そう考えました。エッセーや面接では『私の熱意は世界一』であることを強調し、その熱意の根拠は過去の行動にある。世界を救いたいから、こんな取り組みを行ってきた。そこを必死に説明しました。ほかとは比べられない“物差し”で勝負したのです」
そのような圧倒的な努力が実り、松本さんはスタンフォード大学に合格した。さらに、柳井正財団から全額給付の奨学金も受けることが決まっている。そんな松本さんは、子どもの頃から行動的だったのだろうか。
既存の常識は、本当に常識なのか?
「子どもの頃から、とにかく好奇心が強かったですね。やってはダメと言われることが、なぜダメなのかを確認したくて、電動鉛筆削り器に指を入れるようなタイプの子どもでした(笑)。小・中学校の時は本当に問題児で、小学校の入学式では起立と言われて、いすの上に立ったことがあります(笑)。自分では机といすの間が狭いと思っていすの上に立ったのですが、先生からは『いすの上に立て、とは言っていない』と怒られました。でも、『いすの上に立つな』とは言われてないと反論するような、そんな風変りな子どもでした」
とりわけ数学が得意だった。また、既存の常識が、本当に常識なのか、つねに考えてみる好奇心があった。
「私は、見て理解し、記憶するタイプ。ある日、ノートに授業を書き写すのって、本当に必要なのかな?と感じてしまった。それからは自分に合った方法で勉強しようと思い、ノートは取らず、黒板に集中して授業を聞き、理解して勉強をしました。また、私の通っていた高校には、ディスカッションの授業がなかったのですが、生徒が生徒に授業をするプログラムがあったので、私はディスカッション型の授業をしました。みんなでディスカッションしながら勉強するのは、とても楽しかったですね」
ほかには、と続ける松本さん。驚くことに、英語も苦手だったのだという。
「中3のころは、英語が苦手だったのですが、ある日、X Japanの歌で記憶していた、“Brain”という単語が脳という意味だ、と覚えていたことを先生から褒められて、やる気スイッチが入り、最終的に学年上位の成績を収めることができたんです。また、英文和訳より英語のみで意味を理解するほうが得意だったのですが、こちらも先生から“ネイティブ脳”だと褒められたことで、逆に強みだと思うようになりました。自分のよさを引き出してくれた先生には感謝しています」
「地方女子」の星が描く夢は、果てしなく広がる
松本さんは今年9月から米国で学ぶ。スタンフォード大学で研究する予定の学問は、ヒューマン・コンピューター・インタラクション(HCI)。触覚を用いて目や耳が不自由な人にも情報を伝えられるインターフェースデバイスについての研究を行っていきたいという。
「私の理念は、誰も取り残さない世界を構築していくことです。そのためには既存のテクノロジーを進化させる必要がある。テクノロジーは、人間がより快適な生活を送るためにあるのであって、例えばテクノロジーを使う際に障害に直面してしまうのは違う。今は研究者になって、その課題を解決したいと思っていますが、あくまで目標は、“研究者になること”ではなく、“課題を解決すること”なので、将来は研究者をやっているかもしれないし、起業しているかもしれないし、アーティストをしているかもしれません」
地方から米国の名門大学進学を果たした松本さんは、いわゆる“リケジョ”でもある。しかし、なぜか日本では女子が理系へ進むことへの理解が不足している状況があるのも事実だ。本当は理工系の大学に進みたいのに、断念するケースも少なくない。
「私も当初は、女子は体力がないから最後まで耐え抜けない。だから理系は無理だと反対されました。世間では女子は潰しが利く職業につくべきだ、ともいわれる。でも、女子全員がそうである必要はないはずです。理系も女子だからできないわけじゃない。人類の半分は女性なのに、女性に道を開かない理由はありますか? 地方だから海外の大学に進学できない理由もありません。その人にしかできないこともあります。才能がある人には道を開いてあげるべきです」
そう言う松本さんに海外の大学を志望する後輩たちに向けてアドバイスをと聞くと、次のようなコメントが返ってきた。
「受賞歴がないから、スコアが足りないから、希望の大学にいけない。そう思うのは、これまでと同じ戦い方をしているからです。もしそれで勝てないと思うなら、戦い方を変えればいい。戦い方は決められていません。自分なりのオリジナルな戦い方をつくればいいのです。自分の好きなことを究めれば、道は開く。自分の好きな環境で好きなことを学ぶためにも、きちんと自分と向き合ってほしいと思っています」
そう語る松本さんの目は、はるか先の世界を見つめている。彼女の中に、日本の希望が見えた気がした。
(写真はすべて松本さん提供)