わずか8歳で中国に単身で留学した理由

「小学2年生の時に単身で中国に留学した」と聞けば、いったい何がきっかけだったのだろうと誰もが思うことだろう。平原依文さんは当時、母子家庭という理由から小学校でいじめに遭っていたという。

そんなとき、同じクラスに転校してきた中国人の少女に、ある種の憧れを抱くようになる。彼女もいじめられていたが、全然くじける様子がなかったからだ。自分も強くなりたい。そう思って中国への留学を決めた。それが8歳の時だった。

「自分で調べて、受け入れてくれる全寮制の現地校を見つけて入学しました。でも中国では、南京事件などを授業で学びます。すると中国でもいじめられるようになりました。尖閣諸島問題で日中が対立したときは卵を投げつけられたこともあった。歴史や国境など、中国との間にある“境界線”を思い知らされましたね。中国語にも苦労していて『もう無理、日本に帰ろう』と思い始めた頃、担任の先生が寮に来て『あなたは何が好きなの? 好きなものを通じて中国語を勉強してみたら』と声をかけてくれたんです。当時私が好きだったアニメを言うと、中国語版のDVDを大量に買ってきてくれました」

中国留学時代の恩師

この先生との出会いがとても大きかった。日本と中国の歴史に縛られていた平原さんを見て、先生はこう言ったという。「歴史以上に大事なのは、目の前にいる人とどう向き合うか。あなた自身が周りとの間に線を引いているのではないか」と。「それまでの私は、何でも環境のせいにばかりにしてきました。まず、自分が変わらなければいけないんだということを学びました」。

ここから平原さんは、変わっていく。

人と人が対話できれば差別もなくなる

「あるとき先生から『同じ歴史でも国によって見方が違う。ほかの国の人と対話してみてはどうか』と言われました。だから韓国人学校や日本人学校に行き、毎週金曜日に集まって話し合うことを提案しました。テーマを決めて、それぞれの国ではどういう見方をし、どう伝えているのかを話し合うのです。お互い交わりがないから差別が起こる。差別を生み出すような教育ではなく、人と人とが自分軸で対話ができるような教育があれば、きっといじめや差別もなくなる。純粋にそう思うようになりました」

その後、現地で仲良くなった友達がカナダの国籍を持っていた縁で、次はカナダに留学することにした平原さん。さまざまな歴史、文化、宗教がある国と聞いて興味が湧いたといい、カナダ政府が提供する奨学金を利用して12歳からカナダで学んだ。日本の教育との違いをいちばん感じたのが、このカナダの教育だったという。

「日本で行われているのは、“答えを与えられる教育”だと思います。でもカナダでは、自分で答えを考え、その理由をちゃんと説明できればよしとされます。自ら考えることを重視した教育ですね。メキシコに留学した高校1年生の時は、教育は質も大事だが量も大事だということを実感させられました。私立の学校に通っていたのですが、そばにあった公立の学校は雰囲気が全然違う。不思議に思って、その学校を見学しに行くと、勉強のために学校に通っている子どもは少なく、給食を家に持ち帰るために来ている子がたくさんいたんです。すべての子どもに教育を届けたいと思うようになりました」

カナダ留学時の友人と(左上)、メキシコ留学時のホストブラザーとの1枚(左下)、スペイン留学中の写真(右)

企業の奨学金を利用したり、自身でアルバイトもしながらメキシコで学んでいた平原さんに、突如「お父さんが病気だから帰ってきて」という連絡が母親から入る。帰国の途に就き成田空港に降り立ったのは2011年3月11日。東日本大震災で公共交通機関はすべてストップしていて、ヒッチハイクで帰宅することにしたという。このとき車に乗せてくれた高齢女性の言葉が、平原さんのその先の進路を決めることとなる。

「留学先から帰ってきたことを話すと、その方に『メキシコだったら知らない人の車に乗ることができた?』と尋ねられました。そして『敗戦国である日本が、なぜ今こんなにも安心・安全な国なのか、どのようにして平和をつくり上げてきたのかについても学んでほしい』と言われました。そこで大学は海外ではなく、日本の早稲田大学を選びました。在学中は、カタルーニャ独立運動が盛んになっていたスペインに興味を持ち、スペインにも留学しました」

教育分野での日本の課題は3つある

大学卒業後は、ジョンソン・エンド・ジョンソンに入った。父親が製薬会社で働いていたこと、その父をがんで亡くしたことに影響を受けての決断だったという。

「父のような人を増やしたくない、そのために患者さんの治療の選択肢を増やしたいと考えました。仕事は楽しく、半年で管理職に昇進しました。2年目には海外赴任の話もいただいたのですが、亡くなった父が『教育で社会を変えたい』という私の夢を応援してくれていたことを思い出して……。もともとやりたかった教育事業で起業をしようと辞表を出しました。そうしないと、この会社にずっとい続けることになりそうだと思ったからです」

すぐに起業しようと考えていたものの、その頃にちょうど元グーグルのピョートル・フェリクス・グジバチ氏に再会し、彼の経営するプロノイア・グループを手伝わないかと誘われる。そこでコンサルティングやマーケティングなど幅広い仕事を経験した後、2019年にWORLD ROADを立ち上げて共同代表に就任(代表は昨年末に退任)。22年にはHI(ハイ)合同会社を設立した。

2018年オランダで開催された「青年版ダボス会議」に参加する平原さん。One Young Worldと呼ばれ、次世代リーダーが集まる

「私が実現したい教育は日本にありません。だから起業して教育を変えていきたいという思いで会社を立ち上げました。教育分野での日本の課題は大きく3つあると考えています。1つ目は、答えを出す教育を求めすぎていること。問いを通じて考える教育をもっとすべきです。2つ目は、先生たちの時間の使い方。事務的な仕事が多すぎて、生徒と向き合う時間が取れないという先生がたくさんいます。3つ目は、どう伝えるかより、何を伝えるかという教育をもっとすべき。伝えたいことが明確になっていないと、言葉がどんなに流暢でも、相手に伝わりません。これは自己肯定感を上げるためにも大事です」

WORLD ROADでは、「地球を1つの学校にする」を掲げ、196カ国をつないだコミュニティーをつくり、学びの場を提供してきた。HIでは、学校や企業向けにSDGsをテーマとした講演や研修事業などを展開している。起業当初は、学生の延長線上で行っているボランティアと見られることもあったというが、国境や人種、世代など「世界中の境界線を溶かす」というビジョンをどう事業化するのかに真剣に向き合ってきた。徐々に理解者を増やし、今では研修事業の売り上げのうち3割を学校や子ども食堂に寄付している。

学校での授業の様子。環境問題や貧困など、SDGsをテーマに世界各国の課題、その課題解決について学ぶ

将来はニュージーランドに学校をつくる

昨年から参加している内閣府の教育未来創造会議でも、積極的に提案を行っているという。

「次代を担う人材の教育について語り合う会議なのに、メンバーに学生は一人もいません。現役の学生が何を課題とし、何を欲しているのか、対話しなければ結局、大人の考えを押し付けることになってしまうのではないでしょうか。日本からの留学生や海外からの留学生を増やすことも大きなテーマになっていますが、海外の留学生はメンバーにいません。もし第3次提言が設けられる機会があれば、当事者を巻き込んだ対話も検討していけるとよりいい教育への未来創造につながると考えています」

日本で海外留学に行きたがらない学生が多くなっていることについて、そもそも「留学に行くハードルが高すぎる」と平原さんは指摘する。英語という言語に対するハードルと、お金がかかるという2つのハードルだ。

「日本人は文法などを気にしすぎ。文法が多少間違っていてもなまりがあっても、自分の言いたいことが伝わればいい、そう思えば少しは余裕が出てきて楽しくなります。また留学にはお金がかかりますが、海外留学生向けの奨学金制度や、留学を支援している企業は結構あります。オプションがたくさんあるのにそれが可視化されていないことにも問題があると思います」

こうして、さまざまな人との出会いを原動力としながら、多くのことに挑戦してきた平原さんだが、HI合同会社の代表も2年半後には退任することを宣言している。

「居心地のいいところに長期間いると、自分が手に入れたものとか権限をずっと持ち続けたいと思うようになってしまいます。だからなるべく早く権限と権利を次の世代に渡したほうがいい。将来はニュージーランドに学校をつくることを計画しています。そこで暮らしている人や旅人が訪れ、何か教えたいことがあればその人が先生になって授業をする、そんな学校です。私は悔いのない人生を生きたい。だから失敗は成長痛だと考えるようにしているんです」

平原依文(ひらはら・いぶん)
HI合同会社代表
小学2年生から単身で中国、カナダ、メキシコ、スペインに留学。東日本大震災の時に帰国し、早稲田大学国際教養学部に入学。新卒でジョンソン・エンド・ジョンソンに入社し、デジタルマーケティングを担当。その後、組織開発コンサルへ転職し、CMOとしてマーケティングを牽引しながら、広報とブランドコンサルティングを推進。「地球を一つの学校にする」をミッションに掲げるWORLD ROADを設立し、世界中の人々がお互いから学び合える教育事業を立ち上げる。2022年には自身の夢である「社会の境界線を溶かす」を実現するために、HI合同会社を設立。SDGs x 教育を軸に、国内外の企業や、個人に対して、一人ひとりが自分の軸を通じて輝ける、持続可能な社会のあり方やビジネスモデルを追求する。Forbes JAPAN 2021年度「今年の顔 100人」に選出。青年版ダボス会議 One Young World 日本代表、教育未来創造会議(内閣官房)構成員、 株式会社Fun Group Chief Sustainability Officerなども務める

(文・崎谷武彦、写真:すべて平原氏提供)