教育YouTuberとして絶大な信頼を集めるヨビノリたくみさんは、東京大学の大学院生時代に、東京工業大学の大学院生だった「やす」さんと一緒に「予備校のノリで学ぶ『大学の数学・物理』」、通称「ヨビノリ」を創設。2017年7月に動画投稿を開始した。文部科学省「令和2年度学校基本調査」によれば、全国の理系大学生は約87万人以上。それに対し、チャンネル登録者数は今や66万人を超えている。
教授はシラバスに、学生はサークル探しの感覚で、ヨビノリを活用
──新型コロナウイルスの影響で、チャンネル登録者数、再生回数ともに急増しているそうですね。
はい、それに「講義動画の作り方を教えてください」という大学からの問い合わせも増えています。実際に大学の先生にレクチャーしたこともありますし、あまりにも教育関係者からの問い合わせが多かったので、20年5月に一般社団法人Japan Education Labによるオンラインイベント「教育系YouTuberのノウハウを共有します」も実施しました。
以前から、東大をはじめ理系大学の先生の中には、シラバス(講義概要)に参考文献としてヨビノリのURLを記載したり、講義中に動画を紹介したりする方もいらっしゃいます。
僕は大学の先生は研究のプロであって、教育のプロではないと思っています。先生方にはできるだけ研究に注力して、授業に費やす労力はできるだけ減らしてほしい。教えるのであれば、その先生にしか教えられない、より専門的なことを教えてほしいと願っています。なので、先生方が学生の基礎的学習をヨビノリに託してくださるというのは、ものすごくうれしいことです。
もう1つうれしいのは、理系大学生のチャンネル登録の動機です。彼らのSNSの中には「大学に入学したら、まずやりたいこと」のリストの1〜2番目に「ヨビノリのチャンネル登録」って書かれたものがあるんです。「サークル探し」と同じ感覚で、ヨビノリを捉えてくれているというのが、何ともありがたいことです。
深刻な理系大学生の理系離れに歯止めをかけたい
──そもそもYouTubeで教育動画の配信を始めたきっかけは何ですか。
大学に入学して、すぐにわかりやすい教材がないと気づいたことですね。博士課程に進んだ時点でも、まだそういうものが見当たらなかった。じゃあ、作っちゃえということで始めました。
高校生の時は、わかりやすい参考書があり、塾も予備校もあったのに、大学に入った途端になくなるのは何でなんだろうと、ずっと心に引っかかっていたんです。
僕は学生時代に予備校で講師のアルバイトをしていましたが、博士課程に進むときに日本学術振興会特別研究員に採用されました。ところが「副業禁止」だったんです。なので、講師は辞めるしかなかった。その代わりに何かしたいと思い、「科学の広報活動」の一環としてYouTubeだったら大丈夫だろうと考え、予備校講師の経験を十分に生かせる授業配信を始めたわけです。
──ヨビノリの理念は「理系の理系離れを防ぐ」だそうですが、自ら望んで理系学部へ進学した大学生が、なぜ入学後に理系離れを?
世の中には「子どもの理系離れを防ぐ」と言って、小中高校生を対象に理系科目を好きになってもらうための活動をしている方が大勢いらっしゃいます。サイエンスコミュニケーターという肩書の人もいますし、テレビ番組に協力して実験を魅力的に見せてくれる研究者もいます。
こうした方々の懸命な活動の結果、理系好きの子どもが育ち、理系学部へ進学するんですが、大学で勉強する内容は格段と難しくなるので、挫折して辞めていく学生も少なくありません。すごくもったいないですよね。そんな思いが、ヨビノリの理念と活動になっています。
本当は進み切っている教育のICT活用、問題は子どものやる気
──小中学校では、いよいよ「1人1台PC」環境が実現します。たくみさんは、オンライン授業のメリット、デメリットをどうお感じですか。
わかりやすい授業を上手に展開できる人が1人いれば、誰もが、いつでも、どこででもその授業を見られる点が、オンライン授業の最大のメリット。一時停止も、繰り返し再生もできるので学生は大助かりです。
でも、いつでも、どこででもというのは、裏を返せば強制力がないということ。しかも緊張感を持って授業に臨み、集中力を保って視聴し続けられるかといったら、なかなかハードルが高い。これがオンライン授業のデメリットです。
対面授業なら、何時までに登校して、この授業を受けなければならないという決まりがあり、大抵はそれに従おうとしますよね。教室では周りがしっかり勉強しているし、おしゃべりやダラッっとした格好もできないから、緊張感も生まれる。耳と目に入ってくるのは、先生の言葉と板書と教科書、ノートだけだから集中しやすい。対面授業は時間対効果が非常に高いといえます。
自分自身はオンラインで教える立場にありますが、学校の授業のオンライン化が進んでも、いいことばかりではないというのが僕の見解です。自主的に勉強に取り組める層や、ある程度の学年になれば、緊張感や集中力を保てるので、オンライン学習は強い武器になりますが、基本的な教育はこれまでどおり、先生が対面で教えるというのが続くのではないかと思います。
──ICTを活用した教育を推進するカギは、子どもたちのやる気次第ということですか。
そうですね。ハードウェアは国が1人1台体制を整えてくれますし、教材ならもう十分にある。よく教育のオンライン化は進むのか、という議論がありますが、本当はもう進み切っているんです。とくに大学受験向けの動画コンテンツはものすごい数になっていて、そのほとんどが無料、あるいは非常に安価で公開されています。教育産業だって、かなり以前から参入しています。そんな現状を考えれば、国がどんなに教育のオンライン化を推し進めても、一気に何かが大きく変わることはないのではないでしょうか。
動画作りは個性とわかりやすさ、面白さがポイント
──今後、自分でも授業動画を作ろうと思い立つ、初等・中等教育の先生もいらっしゃると思います。作り方のコツを教えてください。
僕がいちばん大事にしているのは個性です。なぜかというと、子どもは好きな先生の科目をすごく頑張るから。それぞれの先生方が、ご自身のキャラを前面に出しつつ、わかりやすくて面白いコンテンツを作るのがいいと思います。
ただ、学校の授業と違って、目の前には誰もいません。カメラと黒板だけが相手というのは孤独で精神的にきついし、準備だけでも相当な時間が取られます。また対面授業にはないトラブルも想定されます。例えば、小学生を相手にわかりやすく教えたつもりが、正確な表現でないと大学の教授に指摘されて、それがネットで大炎上を招くとか。
なので、教えるのが好きで教え方にも自信があるという先生でも、始めるに当たっては相当の覚悟が必要だと認識しておいていただきたいと思います。
──今後の目標は?
理系大学生が全員、ヨビノリを知っているようになってもらえたら本望です。それにはいいコンテンツを作り続けることがいちばん。ネタには困りません。僕の一生を懸けても、大学の理系授業を全部アップできる気がしないですから。
最近では、お笑い芸人さんとコラボしていただく機会も増え、より自分のキャラを知ってもらえるようになりました。大学の数学や物理のチャンネルって、堅苦しいイメージがあるけど、決してそうではない。ヨビノリを見れば、難しいこともわかるようになり、大学の講義がもっと楽しくなるということを実感してもらえれば何よりです。
(写真はすべてヨビノリたくみさん提供)