「マルチタスクがまるでダメ」社会で通用しない自分に呆然
──山口さんは学歴や職歴で素晴らしい実績をお持ちですが、現在の仕事に就くまでにどのような経緯があったのでしょうか。
大学在学中までは苦労知らずでしたが、大学卒業後、社会に出てからは、決して順風満帆ではありませんでした。私は幼い頃から本が好きで、読むことが大の得意。さらに、読んだことを暗記することにも長けていたので、その記憶力を生かして受験し、希望通りの学校に進学できました。筑波大学附属高等学校に入学してから東京大学を卒業するまで、成績はつねにトップ層をキープし、東大では4年間「オール優」。文章を読んでインプットするという自身の能力が、日本の学校教育や受験における評価軸にぴったりはまったのです。
順調な人生が一転したのは、大学卒業後、財務省に入省してからでした。資料を読み込むこと以外ぱっとしなかった私は思うように仕事を回せず、周りからダメ出しされ、上司にまったく評価してもらえない。学生時代の成功体験で培った「自分は優秀な人間である」という自信がガラガラと音を立てて崩れていきました。「官僚にとって大事なスキルはロジスティクス(注:霞が関用語。スケジュール管理をはじめとする、さまざまな業務遂行のための準備を指す)」といいますが、実は私、料理などのマルチタスクが大の苦手で。まるで使えないポンコツのまま、わずか2年で財務省を辞め、弁護士にキャリアチェンジしたのです。
次こそうまくいくかと思いきや、弁護士というのは考えて話す能力のほうが重要で、意外とリサーチ力は評価してもらえません。弁護士時代も結局落ちこぼれ状態で、苦難の連続でした。その後ハーバード・ロースクールへ留学し、東京大学大学院を経て、今は信州大学の特任教授として教壇に立ちながらテレビなどでコメンテーターをしています。ずいぶん長く迷子になりながら、ここにきてやっと自分にとってドンピシャの居場所を見つけることができました。
──もし昔に戻れるなら、改めてどのような進路や職業を選びますか?
読む能力を最大限に生かしてお金を稼ぐという観点では、文系に進んで裁判官か調査官になるのが正解かもしれません。大学に残って研究者になるのもありだとは思います。
日本の学校教育で「人前で話すこと」に関する学習や試験を
──ご自身が受けた教育を振り返って、日本の子どもたちにどんなスキルを身につけてほしいと感じていますか。
正直、私の「読む能力」が今流行りの能力ではないことはよくわかっています。日本の学校教育では培えなかったと感じるのは、人前で話すスキルです。社会に出てからは特に、メールや書面でやり取りするより、打ち合わせや会議など口頭でのコミュニケーションがメインです。聞かれたことをパッと思考して話すことや、他の人の意見に反論すること、反論をパーソナルに捉えない術などは、小学生の頃から訓練しておくとよいのでしょうね。
海外に目を向けると、アメリカでは学校でパブリックスピーキングを学ぶ機会がありますし、インドや南米の人はとにかくよく喋ってコミュニケーション力が高い。読み書きより先に、人前で話す訓練を積んでいるのかもしれません。一方で日本は、大量のインプットに対してアウトプットはテストのみ。人前での発表も、その場で思考しながら話すのではなく、事前に書いたものを読むイメージですよね。
日本もアメリカ同様、学校教育のカリキュラムに「話すこと」に関する学習や試験を盛り込むべきです。私は、日本の学校教育で養われる力と社会に出て求められる力がまるで異なること、学校教育の評価基準と社会人としての評価基準があまりにかけ離れていることを危惧しています。
──確かに違和感がありますね。その差を埋めるためには、例えばどのような機会があるとよいでしょう。
大学で教えている立場として言いたいのは、社会や企業が大学の存在を軽視せず、大学教育に何を求めるかを示してほしいということです。そもそも、膨大な時間をかけて制作する卒論と関連する分野で就職できている学生は、ほとんどいないのではないでしょうか。せっかくの大学での学びが、社会においては生かされることが少なく、ここに教育と社会の分断が生まれてしまうのです。
先日、ドラフト型の採用イベントを発信するABEMAの「キャリアドラフト」という番組に出演した際、プレゼンした学生が誰一人として大学での勉強内容について話さなかったことにショックを受けました。アピールのネタとして出てくるのは、サークルやアルバイト先のエピソードばかり。これは、勉強では彼らのアイデンティティーを形成できていないことを物語っています。
実際の就職活動においても、エントリーシートに書くネタといえば、サークルかアルバイトが鉄板ですよね。もし、私が「学生時代は勉強に打ち込んでオール優でした」とでも書こうものなら、「ガリ勉で使えなさそう」と企業には見向きもしてもらえないでしょう。企業側が大学に求める教育内容を明示し、それに大学が応える。まずはこれだけでも、大きな一歩になるでしょう。現状は大学だけに限らず、教育界全般と社会とのコミュニケーションが少なすぎるように感じます。
少しでも早く自分の能力を見つけて、徹底的に磨いてほしい
──偏差値の高い学校や最高峰の大学への進学については、どうお考えですか。
例えば大谷翔平選手や藤井聡太八冠のように、子どもの頃から将来やりたいことが明確に決まっている一部の人を除けば、できる限り偏差値の高い学校に進んでおいたほうがいいと考えます。その理由は2つ。1つは、将来何かあった時に叩ける“可能性の扉”がより多く存在しているから。もう1つは、就職や転職する際に、事細かに説明せずとも自身の能力を理解してもらいやすいからです。私自身、東京大学に進んだことで、叩ける扉の数は多かったです。これには非常に感謝していますし、おかげで自分に合う場所を見つけるまでさまざまな扉を叩き続けることができたのだと思います。
また私は、自分が無教養・無趣味であることを恥ずかしく思っているのですが、例えば企業の取締役に就いたとして、システムの話がまったくわからないのでは問題でしょう。詳しくなる必要はなくても、好奇心を持つに足る原材料は持っておくとよいと思います。
──子どもたちがこれからの未来を生き抜くために必要なことはなんでしょう。
自分が何者であるか、自分にはどんな能力があるのかをなるべく早く知った上で、それを徹底的に磨いていくことだと思います。個々の能力を見つけるには、親や教員の積極的なサポートや見守りも必要でしょう。
私は読むことが得意だったけれど、それが自分の武器だと知ったのは、30代に入ってからでした。ハーバード・ロースクールでレポートを出した際に「あなたは読む力が非常に高い。文章にないことを読み取ることができる」と教授に言ってもらい、目からうろこが落ちたんです。授業中の発言は苦手でしたが、「私は文章で表現できる。私の核は読んで表現することなのだ」と、ようやく気付くことができました。
海外へ飛び出して自分を客観的に見つめて削ぎ続け、結果として自分の軸が見つかったのは大きな収穫でした。軸が見つかれば、あとは自信を持って人生を組み立てていくだけ。財務省と弁護士時代は軸が見えないまま迷走していて精神的にとても辛かったので、子どもたちにこんな思いはさせたくありません。「状況を客観的に分析できる」「人の感情に気付ける」「空間認知能力が高い」など、どんな些細なことでもいいので、少しでも早く自分の個性に気付き、ブラッシュアップしてほしいと思います。
(文:せきねみき、写真:本人提供)