小学5年生の時には友人と2人で初めてロボカップに出場した。入賞はできなかったが、そこからロボカップに毎年チャレンジするようになる。自宅にはパソコンもあったので、中学校に入ってからは本やネットを見ながら、自分でプログラミングの技術を磨いていった。
「ロボットを自分の思うように動かしたい一心で、プログラミングの勉強をしました。ロボカップは世界大会まであり、そこで勝ちたいというモチベーションもありましたし、自分の思ったものが形になっていくのが面白かったんです」
長岡高専時代にロボカップジュニア世界大会優勝
高校は普通高校ではなく、長岡工業高等専門学校(以下、長岡高専)を選んだ。それまでロボットを作るための情報が限られており、もっと専門的な知識を身に付けて、ロボカップに挑戦したいと思ったからだ。自宅から高専までは90分ほどかかるため、寮生活をすることになった。
「高専では5年間を過ごすことになりますが、その後は、大学卒業資格を得られる専攻科で2年学びました。専攻科に進む学生は全体の5分の1、私のときは40名程度が学んでいました。授業では学術的なもの以外にも、地域の企業の課題を解決する実践的な授業もあり、起業家教育も行われていました」
その間、2017年の「ロボカップジュニアジャパンオープン2017 Soccer Open」で優勝し、同年に名古屋で行われた世界大会の「RoboCup2017 NAGOYA Junior Soccer Open」でも優勝を果たした。
専攻科に進んでからは、指導教員の紹介で研究課題である農業ロボット関連の画像処理を学ぶために台湾の台北科技大学に4カ月留学。19年には孫正義育英財団生に選ばれ、独立行政法人国立高等専門学校機構理事長特別表彰も2度受賞している。そんな樋口さんは長岡高専修了後、20年には筑波大学大学院に進学することになった。
「研究室で勉強しながら、企業にヒアリングしているうちに、ロボットによる自動化が進んでいない業界を知るようになりました。ラーメン店でバイトをしていた経験もあり、これまで研究していた農業ロボットのほかに食品業界に注目するようになったのです。20年から、つくば市と共同で農業ロボットによる実証実験に携わっていたのですが、ビジネスとして取り組むのは難しい。ちょうどその頃、食品工場で意外にも自動化が遅れている現状を知り、これまで研究してきた技術を食品業界に転用したほうが、ビジネスとしても有望なのではないかと考えるようになったのです」

(写真:樋口さん提供)
そこで樋口さんは友人と2人で21年11月にCloserを設立した。現在は15人までメンバーが増え、長岡高専時代の仲間やほかの高専出身の院生、金融などの業種から転身した社会人などが参画している。
「一度、孫正義財団で出会った仲間とほかの事業を立ち上げようとしていたこともあり、起業は面白いと感じていました。これまで大学院での研究やいろんなベンチャー企業も見てきて、自分もできるかもしれないと思ったのです」
「パソコン」のように小型のパーソナルロボットを作りたい
そう語る樋口さんだが、これまで大きな影響を受けたのはやはり高専時代だという。
「高専時代は研究すること自体が面白かったですね。大学生よりもいち早く専門的な勉強をすることができますし、寮生活もよい経験になりました。とりわけ高専の優秀な学生は手を動かすことができる。いわば、どんどん独学で勉強して、自分でモノを作れる人が多いのです。一緒にロボットを作っていた仲間はとくにそうですね」