注目の12歳、学校で「お母さん」と呼ばれる意外な素顔
天才ドラマーとして著名なメディアやアーティストらに認められ、日本のみならず欧米でも活躍する12歳のYOYOKAさん。しかし、専門家の下で音楽の英才教育を受けて育ったわけではない。その技術はほぼ独学で身に付けてきた。今も譜面は読めないという。いったいどのようにしてドラムと出合ったのか。
YOYOKAさんは現在、北海道在住の中学1年生だ。広大な小麦畑に囲まれた自宅で、父と母、弟と一緒に暮らしており、公立中学校に通いながら学業と音楽活動を両立している。
「両親が音楽好きで、自宅にはスタジオのようにいろんな楽器があり、いろんな人がやって来ては演奏するような環境の中で育ちました。1歳の頃、じーっとドラムを見つめる私に、両親がスティックを渡してくれたのが、ドラムをたたき始めたきっかけだそうです。今でこそ、譜面を読めなくても何歳であっても演奏できる点や、言語を超えていろんな国の人たちと交流できる点がドラムの魅力だと思っていますが、なぜ当初ドラムにひかれたのかは覚えていません」(YOYOKAさん)
言葉がわからない頃から両親とセッションも楽しみ始め、ドラムは家族内における1つのコミュニケーションツールになっていった。
「自分の第一言語はドラムなのかもしれません。ですから、とくに自分の演奏をうまいと思ったこともなく、演奏しているときは、ただただ楽しんでいるだけ。緊張もしないし、『今日の夕飯何かな?』なんて日常のことを考えながら演奏しています」(YOYOKAさん)
実際、実に生き生きと演奏するYOYOKAさん。とくに海外からはそのグルーブを称賛されることが多いというが、ある海外のプロドラマーからは「YOYOKAは音楽ファースト。自分が目立とうとせず、音楽がいちばんよくなるために何をすべきかがわかっている」と評価されたこともあるそうだ。
「ほかの海外の方にもセッション中に『周囲のことがよく見えている』と言われたことがありますが、緊張せず自然体で演奏できるのは、その『俯瞰力』にあるのかもしれません」と、YOYOKAさんのマネジメントやサウンドプロデュースなどを担う父親の相馬章文さんは話す。
4歳からライブ活動を始めて今に至るまで、ときには1億人以上が視聴する番組での演奏や生放送での演奏もあったが、つねにほかの演奏者のこと、観客の状態、音響などすべて把握しながら演奏しているのだという。
YOYOKAさんも、「演奏中はいつもドローンで上から見ているような感覚で、不思議なことにその絵が記憶として残っています」と言う。没入しすぎず、どんな状況でも客観的に全体を見てしまう理由は自分自身でもわからない。
「ただ、ほかの演奏者としっかりアイコンタクトをすることは強く意識しています。そうすれば相手も自分も安心できるので。そういえば学校でも同級生から“お母さん”と呼ばれていて、全体の人間関係のバランスを取って見守るようなところは小さい頃からあります。そう考えると、バンドの潤滑油ともいえるドラムは合っているのかもしれません」(YOYOKAさん)
そのスタンスは、日頃の音楽への向き合い方においても垣間見える。ストイックにドラムをたたき続けることはなく、ドラムの1日の練習時間は30分程度で、ほかの音楽に触れている時間のほうが長いのだという。
「例えば、ギターやベース、ピアノを弾いたり、作曲したり。音楽もたくさん聴きます。そういった時間を入れると音楽に費やす時間は膨大です。練習より本番が好きだということもありますが(笑)、ほかの楽器からインスピレーションを得たり、全体の中のドラムの立ち位置が学べたりするので、ドラム以外の音楽に触れる時間はとても大切です」
さまざまな角度から物事を見ようとする力は、読書で培われた面もあるのだろうか。小学校の6年間で、学校図書館で借りた本の数は1155冊。さらに地元の図書館で毎週30冊ほど借りるので、かなりの数に上る。好むものも音楽とは異なる分野が多く興味深い。
「菌類や生物、解剖関連の図鑑、漫画なら手塚治虫などが好き。最近は星新一のショートショートを読み始めたのを機に、小説も面白いと思うようになりました」(YOYOKAさん)
「センスも英語も養うには高校や大学では遅いと思った」
そんなYOYOKAさんは今、米国のロサンゼルス近郊へ家族で移住する計画を進めている。しかし、なぜ中学生になって間もないこのタイミングなのか。
「ロックの本場である米国で、純粋にチャレンジしてみたいのです。また、私が海外で音楽活動を行う中で、宗教、人種、セクシュアリティーなどいい意味でも悪い意味でも多様性があり、『世界にはこんな場所があるんだ!』といちばん衝撃を受けたのが米国でした。とくに西海岸には世界中から才能や個性のある人たちが集まってきます。そこで、いろんな人たちと交流してインスピレーションを受けながら、自分の音楽の能力やセンスを磨きたいと思っています」(YOYOKAさん)
これまで海外メディアの取材やレコーディングの際に、英語力が及ばず後悔したことが多々あり、自分の言葉で発信するために英語力を上げたいという思いも強い。「12歳という感受性が強く、吸収力がある時期に行きたい。センスも英語力も養うには高校や大学からでは遅いと思ったのです」と、YOYOKAさんは言う。
海外移住を意識するようになったのは、やはり世界で注目されるようになった2018年ごろからだ。それまで日本のドラムコンテストでは受賞したことがなかったが、海外から評価されオファーが続く中で、「サッカーで才能のある人が本場の海外を目指すように、ロックの本場である米国にまず飛び込むことがYOYOKAにとってベストなのではないかと、本人も私たち家族も徐々に考えるようになっていきました」(章文さん)。
いろいろな選択肢を検討したが、海外からのオファーが増え続け、章文さんはYOYOKAさんの将来のために、14年間勤めた公務員を辞めた。未成年が1人で海外で活動するのは現実的ではないし、もともと家族でYOYOKAさんの音楽活動をサポートしてきたため、世界への挑戦も家族というチームで取り組む以外にないと考えたからだ。
ところが、いざ世界へ打って出ようとしたタイミングでコロナ禍に見舞われ、海外からのオファーはすべて中止、ライブ活動もできなくなる。先行きが見えない状況にYOYOKAさんはかなりフラストレーションがたまり苦しんだが、これを機に改めて米国での挑戦の決意を固めたという。
しかし、米国移住は簡単なものではない。18歳以下の子がロックの分野で世界に挑戦するという前例が日本にはなく、いろいろな壁にぶつかった。
「まずは資金面。国内の支援金は18歳以上が対象、かつ学業に関する資金の補填やクラシックに限定したものが多く、ほとんど利用できるものがありません。そのうえ今は円安の影響も大きいです。また、YOYOKAの渡米の目的はプロの音楽活動なので、学生ビザではなく就労ビザが必要なのですが、とくに米国はこの取得が本当に大変なのです」(章文さん)
YOYOKAさんは、米国ではアート系の公立学校に籍を置き、外部で音楽活動を展開していく考えだが、これにはアーティストビザというものが必要になる。この取得が非常に難しく、シンディ・ローパーさんなどセッションで知り合った世界的に著名なアーティストのほか、片付けコンサルタントの近藤麻理恵さんやダンスパフォーマーの蛯名健一さんといった米国で活躍する日本人も含め計十数名に推薦状を書いてもらうなど、さまざまな関係者の力を借りたという。
マルチプレーヤーのアーティストになり前例をつくる
最近ようやくビザが取得でき、早ければ8月末にも渡米する予定だ。YOYOKAさんは今、こう思う。
「これからも多くの苦労があると思いますが、楽しみながら活動したいです。今後はドラマーにとどまらず、作詞・作曲して歌ったりいろんな楽器で演奏したり、レコーディングやMV制作まで手がけるようなマルチプレーヤーのアーティストになるのが夢。そして音楽を通して、これまで海外で実際に目にしてきた貧困や差別を世界から少しでもなくしたいです。そうやって私が前例となり、18歳以下でも才能だけで突き抜けられるよう、後進に少しでも楽な道のりをつくってあげることができたらと考えています」
一方、生まれ育った日本も北海道も大好きだというYOYOKAさん。音楽活動を理解し支えてくれた学校にも感謝しているという。最後に日本の教育の課題について聞くと、こんな答えが返ってきた。
「今の学校は既存の教科や内容にとらわれすぎているように感じていて、例えば音楽なら、ロックなどクラシックやポップス以外の世界もあることを教えてほしいですね。授業も生徒同士で教え合ったり、ときには生徒が先生に教えたりする時間があってもいいと思います。また、先生は勤務が長すぎて、疲れているのは私たち子どもにも伝わってきます。副業もダメだし、外の世界に目を向ける時間が少ないのではと感じます。もっと休んでいろんなことを学べるとよいのではないでしょうか。ムダな雑学をたくさん知っている大人ってすてきですよね。私もそんな大人になりたいと思っています」
(文:國貞文隆、編集部 佐藤ちひろ、写真:YOYOKAさん提供)