熱血になりがち、教師の魅力を見失うほど多忙な先生に必要な「塩対応」の技術 生徒・保護者・同僚との関係、仕事見直すヒント
公立を選んだのは、私学は家庭の経済水準が一定で、教育理念などもあって画一化されており、似たような生徒が多いように感じたからだ。一方、公立の学校にはいろいろな生徒がいる。そもそも東京の若者に疑問を抱いたことから、東京の問題は東京で解決するしかないと都の採用試験を受けた。
峯岸氏が最初に配属されたのは商業高校だった。だが、社会に出て民間企業で働いた経験を持つ立場からすると、その現状には違和感を覚えたという。
「ほとんどの生徒が卒業したら就職するのですが、みんなに簿記などの資格を取らせるんです。もちろん、資格自体を否定するつもりはないのですが、実社会と学校教育とは違うのではないかと……。例えば3年生の時には模擬会社の実践体験をするのですが、紙のタイムカードを押すとか、原価計算を電卓でするとか、企業で働いていた私にとっては時代おくれなんです。指摘しても先輩教師は『これでやってきているから』と取り合ってくれない。私だけでも生徒に現実を伝えたいと思いました」
率直な意見で先輩教師を敵に回すことも多かった峯岸氏だが、生徒のためにと毎日朝早くから夜遅くまで働いた。「こんな働き方は、ずっとはできない」と頭の片隅で思いつつも、「楽しみながら頑張っている自分に酔っていた」と振り返る。
部活動の顧問は、柔道部を命じられた。それは教師になると決めてからいちばん懸念していたことだった。テニスや書道の経験はあったものの、経験のない部活動を任せられたらどうしようと。しかも、柔道部は下手をすると命に関わる競技だ。もちろん経験はなく、むちゃな配置だと思ったが、ほかの先生もやっていることなので文句は言えなかった。前任が柔道の経験者だったこともあって、自身は頑張っているつもりだったが、保護者からは「前の先生のほうがよかった」と言われることもあったという。
今では、こうした全員顧問制や長時間労働の原因となっている部活動について声を上げる教師は多くいる。ようやくそのあり方が問題視され、見直しの方向に向かっているが、一度社会に出てから教師となった峯岸氏にとっては、学校現場に飛び込んだ直後から疑問に思うことが多くあった。
ちょっと引いた「塩対応」で生徒と教師がウィンウィンに
学校の指導のあり方も、その1つだった。上から押さえつけるような教師の指導に、生徒は何も言えない。でも、学校の中では当たり前の光景だったことから疑問の声を上げる人は誰一人いなかった。
そこで、そうした疑問をきちんと指摘できる理論を学びたいと、峯岸氏は法政大学の大学院に通い出す。キャリアデザイン学専攻の修士課程を修了し、働きながら商業高校の教育についての論文も書き上げた。
「大学院では、エネルギーの分散の仕方を身に付けました。生徒に100%のエネルギーで対応するのは一見すばらしいことのように思われますが、実は生徒のためにも自分のためにもなりません。生徒を追い詰めるし、自立心を奪うことにもなってしまう。教師自身がいろいろなチャンネルを持って、エネルギーを分散させたほうがいいと考えました。大学院での学びと仕事を両立しなければならないことも、『塩対応』の原点の1つになったのです」
「塩対応」と聞くと、そっけなく冷たい対応あるいは手抜きと思う人がいるかもしれないが、イメージする意味とは少し異なる。教師は何でも全力で指導してしまいがちだが、生徒の様子を観察して「今回は20%でいこう」「今回は30%で関わってみよう」というさじ加減が必要なのだという。