学校の当たり前に風穴、めがね旦那先生「教育観のアップデート」に必要な視点 なぜおかしいと思っていても変えられないのか
たとえ「メリットを感じない」「時間や手間がかかりすぎる」と思っても、「それが当たり前」「学校の常識」と思えば変えられないし、やめられない。それはなぜなのか。めがね先生は、これまで学校が「正解を与える場所」だったからではないかと話す。
「例えば『今何時?』と聞いて時間を教えてもらったら、普通は『ありがとう』と返しますよね。でも学校では『正解です』と返す。先生たちも、『正解がある』『学校では正解を与える』が内在化しているんですよね。だから、『もっと子どもとやり取りして、もっと考えてみませんか』と言いたい。でも、みんなが僕みたいな先生になったらいいとはまったく思っていなくて、厳しい先生がいてもいいし、何より多様な教育が大事だと考えているんです。実際、僕のクラスでよかったという子もいれば、『先生は甘い』という保護者もいます。僕はただ、当たり前とされているけど、おかしいと思っていても変えられないということに風穴を開けたいんですよね」
教員が子どもを管理してしまう本当の理由
学校が「○○してはいけない」といった管理的教育にならざるをえない理由の一つとして、めがね先生は「学級崩壊へのおそれ」を挙げる。
「教員や学校にとって怖いのは学級崩壊です。それを防ごうとすると、どうしても管理的教育になります。許可制にすればダメなものはダメと言えますし、管理する側の予想を超えることはありません。そうした管理的教育を受けてきた子は、行動を決められ、許可されることに慣れています」
しかも、先生によってルールは異なることもある。そのため、クラス替えをしたばかりの4月、子どもたちはあらゆることを聞いてくるという。「トイレ行っていいですか?」「お茶をこぼしたので拭いていいですか?」「鼻をかんでいいですか?」などなど。
「そこで、僕は『君たちは自由だよ』と言うんです。『でも、何をしてもいいわけではない。ルールは定められないんだよ』とも言います。大声で話す自由と、静かに過ごす自由は両立しない、でもしゃべる自由は侵害できない。このように自由はルール化できないから、その都度考える必要があります。僕は今、3年生の担任なのですが、4月から言い続けていると、3学期には自分で考えるようになってくるんですよ」
(写真:IYO / PIXTA)
ただし、子どもに自由だと言う際に、意識しておくべきことがあるという。自身の苦い経験から得た教訓をこう話す。
「『君たちは自由だよ』と言っても、先生が怖いと子どもたちは何もしなくなります。子どもが自由に過ごすには、その土台に『何かあっても先生は話を聞いてくれる』という安心感が必要。僕も厳しい先生だった時期がありまして、『君たちは自由だよ』と言っても、子どもがチラチラ僕の顔色をうかがっていることに気づき、まずは子どもの話を聞こうと思うようになりました」

















