ライフ創業者「多くの人が僕を信頼してくれた」 【第1回】筋が通らなければ国が相手でも戦う

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ライフコーポレーションの創業者で、名誉会長の清水信次氏が10月25日、亡くなった。96歳だった。ここでは、2011年から2012年にかけて『週刊東洋経済』の「長老の智慧」に掲載したインタビューを4回に分けて再録します。

ライフコーポレーション創業者の清水氏。写真は2011年撮影(撮影:今井康一)
戦後に食品販売で起業、バナナやパイナップルの輸入業を経て、食品スーパー最大手を育て上げた。売上税の反対運動など筋が通らないと思ったことには国が相手でも戦いを挑む硬骨漢だ。

敗戦の2週間後に三重県の家族の疎開先に帰りました。でも、両親は焼け出され、弟妹はまだ小さい。自分が稼がないと一家で餓死する。何の当てもなく、翌朝一番の汽車で大阪へ出ました。

大阪ではもう闇市が立ち、食べ物や古着、鍋釜を売る人、買う人がいっぱいいた。ここで食料品の商売をしようと考えました。まず、復員するときに支給された飯盒(はんごう)や雑嚢(ざつのう)、水筒などを売り、当面の資金としました。その後、魚の行商などをして本格的な事業資金を作りました。

事業を軌道に乗せるまで、いろいろな人に助けてもらった。何もない若造でしかない僕を多くの人が信頼してくれた。

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