マレーシアでは、なぜ「教えない教師」が優秀とされるのか、納得の理由とは? 21世紀型「国際バカロレア教育」が重視する授業

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TOK(日本語版)より引用

哲学の認識論と似ていますが、見ていると美学、数学、音楽、宗教など、あらゆるものを分析し、探究します。マレーシアのIBで学ぶ私の長男は、人気の先生をこう評します。

「クラスは、先生が一方的に何かを教えるのではなく、議論を中心に進められる。先生は生徒の話を聞き、『逆に、君たちの考えを教えてくれ』というスタンスで、仮に極論であっても、理解しようと努め、つねに生徒から学ぼうとする姿勢を感じる。先生がどんなに知識を持っていたとしても、あらゆる生徒に対して下から目線で、『自分のほうが物知りだ、偉いのだ』という意識を感じない」

「教師がものを知らなくていいのか?」と皆さんは思われるかもしれません。実はこの授業での最初のテーマは、そもそも「知る」とは何なのか。「正しい知識なんて本当にあるのだろうか」と、今までの前提を疑うところからスタートするのです。

例えば、
・視覚や嗅覚の感覚は、他人と本当に共有できているのか?
・全員が同じ赤色を見ていると証明できるか?

といったような課題について、生徒たちは、デカルト、プラトンなどかつての哲学者の意見なども参考にしながら、「知識に絶対的自信を持つこと」という前提を疑うところから始めます。さらに議論は「意見を共有する場所」であり、「正しさを争う場所」ではないことを理解していくのです。

実はこの先生は、ものを知らないどころか、その逆で、自ら生徒と共に学び続けているため、言語や文学、宗教、ファッションなど、あらゆることに造詣が深いそうです。音楽ならばメタル、ジャズ、ブルース、クラシック、民族音楽などあらゆるジャンルを全部聴く、という感じだそうです。

この授業を続けることで、生徒たちにはどのような変化があるのでしょうか。

「授業で発言する子は、どんどん羽を広げることができ、穏やかに議論が進む。みんな、互いの違う意見を認め合い、そしゃくできるようになっていく」

この「違う意見をそしゃくする」力は「オープンマインド」とも呼ばれ、IBでとても重要視されている能力です。実はこの能力が、これからの教育を語るうえで、欠かせないキーワードなのです。

「正解は1つ」から「オープンマインド」へ変わる教育

「これは、『私とあなたのどちらが正しいか』という議論とはまったく異なります」と言うのは、別のマレーシアのIB学校、フェアビュー・インターナショナルスクール・クアラルンプール校で校長を務めるヴィンセント・チアン博士です。

「オープンマインドとは、ほかの人の意見を受け入れ、ほかの人も正しいかもしれないと考えることです。これを私たちは5歳から18歳までのすべての子どもたちに教えていますが、教えている先生も戸惑うことがあります。『正解は1つ』という教育を受けてきた大人は、『実は唯一の正解があるはずだ、私たちの両方が正しいなんてありえない、どちらかが間違っているはずだ』と考えがちだからです」

この「オープンマインド」は、IBの10の目標に入っており、日本語では「心を開く人」と訳していますが、「異なった考え方を受け入れる」という意味です。

チアン博士は、この「正解が1つと思ってしまう問題(one right answer problem)」の危険な点を指摘します。

「正解のある教育で育った子どもたちは、『世界にはつねに正しいことと間違っていることがある』と学び、グレーの世界を学びません。成長すると、彼らはつねに正しい答えを探して、結果的に、何も言えなくなってしまいます。なぜならたった一つの正しい答えなんてないからです」

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