長引くコロナ禍と物価高騰で「食べるものに困る」、子どもの貧困の深刻な実態 機会の平等がなく「自己責任」は成り立たない
現在、学校の部活動は運動部も文化部も、地域移行に向けた準備が進められている。部活動のよいところは、困窮家庭も含めすべての子どもたちが学校を通じてさまざまな経験を積める機会があることにあった。それは、これまで学校の先生がボランタリーで担ってきたから成り立っていたわけだが、今後外部の指導者や企業などが部活動を運営することになれば、家庭にもこれまで以上の費用負担が発生する可能性が大きい。
必要なところに適切な対価を支払って部活動を運営することは大切だが、困窮家庭の子どもたちが費用を理由にスポーツや文化、芸術に親しむ機会が著しく損なわれることがないよう経済的な支援を併せて検討することが何より必要だろう。
子どもの貧困の状況、必要な支援を継続的に把握するには
こうした調査を通じて、キッズドア理事長の渡辺由美子氏が繰り返し訴えているのは「子ども関連予算の確実な増額と、高校生の子どもを持つ家庭への支援強化」だ。

キッズドア理事長
(写真:本人提供)
日本は、ほかの先進国と比べて子ども関連予算が相対的に低いのはもとより、児童手当や医療費などのいろいろな支援が中学生で終わってしまう。東京都が2023年度から医療費の無償化を高校生まで拡大する方針を決めたが、子育て家庭に厚く予算を配分する自治体が増えることを期待したい。
また今回、渡辺氏は「どうしてこういう調査を私たちがやらなければならないのか」と声高に訴えた。確かに子どもの貧困については、昨年末に公表された内閣府の「令和3年 子供の生活状況調査の分析 報告書」が全国的に行われた初めての調査だ。
内閣府も、この調査票を基に全国の自治体が子どもの貧困調査を実施することを期待している。どのくらいの自治体が追随するかはわからないものの、子どもの貧困がどのような状況にあるのか、必要な支援は何なのかを継続的に把握して早急に対応していくことが必要ではないか。
子どもの貧困は、教育機会の差、多様な経験をする機会の差となり、学歴や就職、収入など将来にわたってあらゆる格差を広げてしまう。それがひいては貧困の連鎖にもつながる。機会の平等がない中で、「自己責任」は成り立たない。今、貧困にある子どもの支援が、将来の日本に対する投資と考え、社会全体の問題として子どもの貧困を考えるべきではないだろうか。
※自由回答は一部抜粋、表現の調整をしている箇所があります。
(文:編集部 細川めぐみ、注記のない写真:はやけん / PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部
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