教員免許持つ弁護士・真下麻里子氏が法の視点を説く「いじめ予防授業」の中身 友達を仲間外れにすると「人格権の毀損」に
「弁護士や教員など『正しさ』が重視される職業に就く大人はとくにやってしまいがちですが、正しさは振りかざした瞬間に正しくなくなる可能性が高まります。気軽に相手に向けてしまう『〇〇すべき』という概念は、『あなたがどう思うかはさておき、この規範に従いなさい』というメッセージが強く、やや暴力的なものであることに注意が必要です」
自分や相手が「どう思うか」という内心の自由は、憲法19条で保障されている。たとえ相手を殴りたいと考えていても、実行に移さない限り心の中は“絶対的に”自由だ。それは内心が人の人格や尊厳の根幹を支えるものであり、高い価値を有しているからだ。こうした価値に配慮しないまま「いじめはやめるべき」と正論を振りかざしても、それでは力で押し切る理不尽な校則と変わらない。言う側も言われる側も思考停止になるだろう。真下氏は「主語を『私』にして、『私は〇〇したい』『〇〇してほしい』という伝え方をしましょう」と提案する。
「まず自分のしたいこと、してほしいことを考えることは、自分の意思を尊重することを意味します。いじめ問題では相手を尊重することばかりが重視されがちですが、まずは自分で自分を尊重できないと、結果として他者を大切にすることもできなくなってしまうのです」
「すべき」は相手を責める技術であり、「したい」は人間関係を築く技術だ。表面的ではないこうした法の考え方を、真下氏は中学生に対しても真摯に伝えている。
権利と尊厳を武器に、いじめに立ち向かう人を育てる
もう一つ、いじめ予防授業で扱うこんな事例がある。
クラスごとの合唱コンクールに向けた朝練に、どうしても早起きが苦手で、毎朝必ず10分ほど遅れてしまう生徒がいた。やがてその生徒はからかいの対象になり、クラスの誰からも話しかけられなくなってしまう。この事例を真下氏は「集団と個の利益がぶつかる例」だと説明する。この場合は被害者と加害者だけでなく複数の観衆と傍観者が存在する「四層構造」だ。ここでも被害生徒の遅刻という落ち度と、起こってしまったいじめの行為を切り離し、それぞれの立場で何ができたかなどを掘り下げるという。また、この事例はいじめだけでなく、子どもたちに「権利」について考えさせる教材にもなるという。

「学校では子ども同士の横の関係が強調されがちですが、社会で本当に大切なのは、縦の関係で自ら権利を行使できる力です。理不尽に直面した際には、自ら権利行使しないと誰も代わりに行使などしてくれません。でも日本ではなぜか『権利を主張するなんてわがままだ』という誤解があります。また先生方も『わがままな子になってもらっては困る』と、そのことについてはあまり教えません。そうした環境では、自らの権利の重要性はおろか、社会における理不尽にも気づけなくなってしまうおそれがあります」
縦の関係とは、国と個人、会社と社員、学校と生徒など、力が非対称な関係のことを指す。例えば真下氏の取り組む生徒主導の校則改定などでは、改定への権限を持つ学校側と権限のない生徒との間に、どうしても利害関係の衝突が生まれる。だが、真下氏は感覚として、近年の子どもたちからは大人への感情的な反発をあまり感じないという。