法の理解を深めることで、いじめへの意識は変えられる

真下麻里子氏は弁護士でありながら、教育学部出身で中学校・高等学校の教員免許を所有している。その経歴を生かして、主に中学校に出向いて行う「いじめ予防授業」に10年以上取り組んできた。「NPO法人ストップいじめ!ナビ」の理事も務める、いじめと法の分野のプロフェッショナルだ。

いじめ予防授業では各クラスに1人の弁護士が講師として入り、いじめにまつわる法の考え方を教えていく。授業は3~4回に分けて行われ、中学1年生が3年生になるまで、毎年通うことも多いという。

授業の最初には、実際に起こりそうな事例を使っていじめの定義を学ぶ。真下氏が子どもたちに示すのは「DVD事例」と呼んでいるもの。女子5人の仲良しグループが、そのうち2人が関わるDVD貸し借りのトラブルをきっかけに、1人の女子を追い込んでしまうというケースだ。

「AさんがBさんに借りたDVDに傷をつけてしまったことから、Aさんはグループ内で孤立することになります。『他人の物を大事にしなかったのだから、仲間外れにされても仕方ない』と捉える生徒は少なくありません」

だがこの事例を法律の観点から分析すると、DVDを傷つけたAさんが毀損した価値は「財産権」で、Aさんを仲間外れにして苦しめた4人が毀損した価値は「人格権」であり、人の尊厳だ。

「人の尊厳はもちろん、人格権には財産権よりも高い価値が認められています。それを損なうのと物を壊すのとでは行為の性質も重さも違います。人の尊厳や人格はお金で回復できないものなのだと説明すると、子どもたちの表情が少し変わってきます」

真下麻里子(ましも・まりこ)
早稲田大学教育学部理学科を卒業。数学(中高)の教員免許を持つ弁護士。宮本国際法律事務所に所属し、NPO法人ストップいじめ!ナビの理事を務めている。全国の学校でオリジナルのいじめ予防授業や講演活動を実施。教職員研修の講師も務めている。TED×Himi 2017に登壇。そのトーク「いじめを語る上で大人が向き合うべき大切なこと」はYouTubeにて公開中。著書に『教師もできるいじめ予防授業』『幸せな学校のつくりかた―弁護士が考える、先生も子どもも「あなたは尊い」と感じ合える学校づくり』(ともに教育開発研究所)、共著に『こども六法練習帳』(永岡書店)、『ブラック校則 理不尽な苦しみの現実』(東洋館出版社)、『スクールロイヤーにできること』(日本評論社)がある。
(写真:真下氏提供)

真下氏は子どもたちに対し「いじめとは、された側がつらい、悲しいと感じること」とやさしい言葉で定義づけながら、複数回の授業の中で、それが相手の尊厳に関わることだと示していく。

「授業の目的はいじめをなくしたり道徳を身に付けたりすることではなく、法的思考を理解し、自分と他者の尊厳を守る視点を学ぶことです。教員の方が『いじめ予防授業以降、生徒指導がしやすくなりました』と言ってくれることもあります。でも子どもたちの変化は、私たちが授業で置いてきた思考を先生方がうまく引用し、定着させてくれたからこそのものだと思います」

教員の力は大きいと真下氏は言うが、大人も子どもも、日本は法律の理解が浅いとも指摘する。そのために、被害者となった子どもの尊厳がさらに傷つけられてしまうことがある。

「教員の方にとっては加害者も被害者も、それ以外の子どもたちもかわいい生徒です。そのため被害者の訴えを軽く捉えて、ほかの子どもにさらしてしまいがちです。クラス全体の雰囲気を壊すまいと、よかれと思って開いたクラス会議が、被害者の苦痛を上塗りするだけの結果になってしまうことも。また、私たちがいじめ予防授業を行った後、担任の先生が『どちらにも悪いところがありましたね』とまとめてしまったこともあります。でも実は、この考え方は『いじめられるほうも悪い』と、加害者の行為を正当化する危険なものです」

学校現場で授業をするのは、あらかじめ「串を通すため」

安易な「けんか両成敗」を危惧する真下氏の授業後半では、「中立」の考え方を深く問いかける。これは子どもたちにとっても教員にとっても難題のようだ。

「授業では、100:0で加害者に非がある事例で子どもたちに模擬調停を行わせます。その際、子どもたちが被害者側の存在しないはずの“落ち度”を探し出し、どちらも悪かった、どちらも謝ったほうがいいという結論を導き出してしまうことがあります。先ほどの先生のまとめ方でも触れたとおり、大人もやりがちな誤りです。中立とは結論を真ん中に持ってくることではなく、100:0を100:0と正しく評価することです。大切なのは、中立という便利な言葉を逃げ道にせず、いかに自分の良心の下に立論できるかということ。これは私たち大人も心がけたい大切な点です」

真下氏は、学校に関わる立場を団子に例えて、「串を通すために学校現場に行っている」と語る。それぞれの団子は生徒・教員・保護者の三者。ここに法律という串を通して共通認識をつくることが、いじめ予防授業で目指していることだ。「団子の串」は、問題が起こる前に通しておくことが何よりも重要だという。「一度いじめが起きてしまうと、加害者や被害者という立場ができてしまい、串を通すことは容易ではない」と話す真下氏。すでにいじめが起きてしまっている状態での授業依頼は、内容によっては断ることもあるという。こうした姿勢は、セクハラ事案等のトラブル研修などでも同様だそうだ。

「弁護士に法律を語らせ、その行為は罰せられるのだと当事者に知らしめるだけでは、問題の根本解決になりません。そうした考えに基づくご依頼には『正しさとの向き合い方』を丁寧に説明し、研修の内容を切り替えてもらっています」

ブラック校則改善にも取り組む真下氏は、教員向けの研修でも「正しさとの向き合い方」について講義している。SNSなどでもよく見られる「〇〇すべき」という一方的な正義は、はたして本当に正しいのかということだ。

「弁護士や教員など『正しさ』が重視される職業に就く大人はとくにやってしまいがちですが、正しさは振りかざした瞬間に正しくなくなる可能性が高まります。気軽に相手に向けてしまう『〇〇すべき』という概念は、『あなたがどう思うかはさておき、この規範に従いなさい』というメッセージが強く、やや暴力的なものであることに注意が必要です」

自分や相手が「どう思うか」という内心の自由は、憲法19条で保障されている。たとえ相手を殴りたいと考えていても、実行に移さない限り心の中は“絶対的に”自由だ。それは内心が人の人格や尊厳の根幹を支えるものであり、高い価値を有しているからだ。こうした価値に配慮しないまま「いじめはやめるべき」と正論を振りかざしても、それでは力で押し切る理不尽な校則と変わらない。言う側も言われる側も思考停止になるだろう。真下氏は「主語を『私』にして、『私は〇〇したい』『〇〇してほしい』という伝え方をしましょう」と提案する。

「まず自分のしたいこと、してほしいことを考えることは、自分の意思を尊重することを意味します。いじめ問題では相手を尊重することばかりが重視されがちですが、まずは自分で自分を尊重できないと、結果として他者を大切にすることもできなくなってしまうのです」

「すべき」は相手を責める技術であり、「したい」は人間関係を築く技術だ。表面的ではないこうした法の考え方を、真下氏は中学生に対しても真摯に伝えている。

権利と尊厳を武器に、いじめに立ち向かう人を育てる

もう一つ、いじめ予防授業で扱うこんな事例がある。

クラスごとの合唱コンクールに向けた朝練に、どうしても早起きが苦手で、毎朝必ず10分ほど遅れてしまう生徒がいた。やがてその生徒はからかいの対象になり、クラスの誰からも話しかけられなくなってしまう。この事例を真下氏は「集団と個の利益がぶつかる例」だと説明する。この場合は被害者と加害者だけでなく複数の観衆と傍観者が存在する「四層構造」だ。ここでも被害生徒の遅刻という落ち度と、起こってしまったいじめの行為を切り離し、それぞれの立場で何ができたかなどを掘り下げるという。また、この事例はいじめだけでなく、子どもたちに「権利」について考えさせる教材にもなるという。

出張授業で生徒を指導する真下氏(左)。模擬調停は「代理人役」を立て、子どもの心理的負担にも注意して行う(右)

「学校では子ども同士の横の関係が強調されがちですが、社会で本当に大切なのは、縦の関係で自ら権利を行使できる力です。理不尽に直面した際には、自ら権利行使しないと誰も代わりに行使などしてくれません。でも日本ではなぜか『権利を主張するなんてわがままだ』という誤解があります。また先生方も『わがままな子になってもらっては困る』と、そのことについてはあまり教えません。そうした環境では、自らの権利の重要性はおろか、社会における理不尽にも気づけなくなってしまうおそれがあります」

縦の関係とは、国と個人、会社と社員、学校と生徒など、力が非対称な関係のことを指す。例えば真下氏の取り組む生徒主導の校則改定などでは、改定への権限を持つ学校側と権限のない生徒との間に、どうしても利害関係の衝突が生まれる。だが、真下氏は感覚として、近年の子どもたちからは大人への感情的な反発をあまり感じないという。

「学習指導要領の改訂もあり、教育現場では対話が重視され、対立はややタブー化されているように感じます。そうした空気に子どもたちは慣れていて、自分たちの利害に関することであっても、対立にエネルギーを割かず無難にやり過ごそうと考えていると感じることもあります。しかし、力が非対称な力関係の下では、通常、対立なくして対話はありません。力を持つ側には対話するメリットがないからです。『対立』と評価されることを恐れて、子どもたちが主張自体を諦めてしまうような環境をつくっては本末転倒です。対話を重視するのは非常に大切ですが、できれば先生方には、学校の中で縦の関係で権利行使する練習をさせてあげてほしいと思います」

相手を尊重するためには自分を尊重する力が必要であるように、横の関係での権利を守るには、縦の関係における権利を知ることも有効だろう。それは権利自体への理解を深めることになるし、自分も他者も、互いにどんな法によって尊厳が保障されているのかを知ることになる。

弁護士である真下氏の授業の主軸は、やはり法律だ。いじめという問題を通して、その本質を子どもたちに伝えようとしている。

「小さな教室で起きるいじめには、法的な規範や内心の自由などの基本的人権といった、生きるうえで重要な問題が凝縮されているのです。法律の考え方を、いじめを抑止するためだけのものではなく、大人になってからもずっと必要なものとして伝えたい。難しいテーマもありやさしく言語化するのに苦労していますが、それを何とか伝えるため、これからも心を砕いて努力を続けていきます」

(文:鈴木絢子、注記のない写真:NPO法人ストップいじめ!ナビ提供)