教員免許持つ弁護士・真下麻里子氏が法の視点を説く「いじめ予防授業」の中身 友達を仲間外れにすると「人格権の毀損」に

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「授業の目的はいじめをなくしたり道徳を身に付けたりすることではなく、法的思考を理解し、自分と他者の尊厳を守る視点を学ぶことです。教員の方が『いじめ予防授業以降、生徒指導がしやすくなりました』と言ってくれることもあります。でも子どもたちの変化は、私たちが授業で置いてきた思考を先生方がうまく引用し、定着させてくれたからこそのものだと思います」

教員の力は大きいと真下氏は言うが、大人も子どもも、日本は法律の理解が浅いとも指摘する。そのために、被害者となった子どもの尊厳がさらに傷つけられてしまうことがある。

「教員の方にとっては加害者も被害者も、それ以外の子どもたちもかわいい生徒です。そのため被害者の訴えを軽く捉えて、ほかの子どもにさらしてしまいがちです。クラス全体の雰囲気を壊すまいと、よかれと思って開いたクラス会議が、被害者の苦痛を上塗りするだけの結果になってしまうことも。また、私たちがいじめ予防授業を行った後、担任の先生が『どちらにも悪いところがありましたね』とまとめてしまったこともあります。でも実は、この考え方は『いじめられるほうも悪い』と、加害者の行為を正当化する危険なものです」

学校現場で授業をするのは、あらかじめ「串を通すため」

安易な「けんか両成敗」を危惧する真下氏の授業後半では、「中立」の考え方を深く問いかける。これは子どもたちにとっても教員にとっても難題のようだ。

「授業では、100:0で加害者に非がある事例で子どもたちに模擬調停を行わせます。その際、子どもたちが被害者側の存在しないはずの“落ち度”を探し出し、どちらも悪かった、どちらも謝ったほうがいいという結論を導き出してしまうことがあります。先ほどの先生のまとめ方でも触れたとおり、大人もやりがちな誤りです。中立とは結論を真ん中に持ってくることではなく、100:0を100:0と正しく評価することです。大切なのは、中立という便利な言葉を逃げ道にせず、いかに自分の良心の下に立論できるかということ。これは私たち大人も心がけたい大切な点です」

真下氏は、学校に関わる立場を団子に例えて、「串を通すために学校現場に行っている」と語る。それぞれの団子は生徒・教員・保護者の三者。ここに法律という串を通して共通認識をつくることが、いじめ予防授業で目指していることだ。「団子の串」は、問題が起こる前に通しておくことが何よりも重要だという。「一度いじめが起きてしまうと、加害者や被害者という立場ができてしまい、串を通すことは容易ではない」と話す真下氏。すでにいじめが起きてしまっている状態での授業依頼は、内容によっては断ることもあるという。こうした姿勢は、セクハラ事案等のトラブル研修などでも同様だそうだ。

「弁護士に法律を語らせ、その行為は罰せられるのだと当事者に知らしめるだけでは、問題の根本解決になりません。そうした考えに基づくご依頼には『正しさとの向き合い方』を丁寧に説明し、研修の内容を切り替えてもらっています」

ブラック校則改善にも取り組む真下氏は、教員向けの研修でも「正しさとの向き合い方」について講義している。SNSなどでもよく見られる「〇〇すべき」という一方的な正義は、はたして本当に正しいのかということだ。

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