伊藤穰一、Web3「学校の外でいくらでも学べる」時代の学校と先生の役割 日本の教育は安定的でフェアだが多様性がない

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米マサチューセッツ工科大学(以下、MIT)でメディアラボ所長を務めた伊藤穰一氏が今、千葉工業大学でアンチディシプリナリー(脱専門性)研究施設である「変革センター(The Center for Radical Transformation:CRT)」のトップとして新たな仕事に取り組んでいる。現在は、いろいろな分野の研究者を集めている段階だが、同センターの目的は、MITメディアラボで学んだ脱専門性という考えの下、新たな研究分野を構築していくことにある。AIやWeb3などのデジタル技術を通じて、どうやって社会変革を起こしていくのか。次世代型の学びについても研究テーマの1つになっているという伊藤氏に、Web3時代の学びのあり方について話を聞いた。

Web1.0時代の教育改革も始まっていない

――Web3(Web3.0:ウェブスリー)といわれる時代に突入しつつある中、今後教育の形はどのように変わっていくとお考えでしょうか。

Web3と言う前に、そもそもWeb1.0、Web2.0の教育改革も始まっていません。従来の教育は情報を与えること、つまりコンテンツを提供することに意味がありましたが、Web1.0の時代に入り、ネットを通じて誰もがどこからでも情報にアクセスできるようになりました。

そういう時代には、先生は情報を与えるのではなくコーチのようになるべきであり、授業についてもディスカッションやプロジェクト型教育、あるいは学校の中と外をつなげる接続型教育に移行すべきです。しかし、それがほとんどの学校でできていません。

Web2.0の時代では、SNSやゲームなどを通じて、読むだけでなく書くこともできるようになり、多くの人とコミュニケーションを取ったり、誰もがディスカッションして自分の主張を世の中に公表できるようになりました。例えば、大学の専門的な学術論文集に発表しなくても、誰もが発表の場を得られるようになりましたよね。

そしてWeb3の時代になると、ブロックチェーン技術を通じて、特定企業のサービスを経由しなくても、誰もが個人で簡単にデジタルリソースを利用できるようになります。会社を起こしたり、研究を運営したり、報酬をあげたり、もらったり、投票したりなどして組織に参加できる。たとえ小さな子どもでも、会社の運営に携わることができるなど組織の中で学びができるようになり、教育もこれまでの形とは大きく変わっていくと見ています。

昔は大人のほうが知識を持っていましたが、今は若い子のほうがデジタルを直感的に理解しているし操る力も持っています。だから、今まで学校の中でやってきたことが、勝手に外で起こってしまうようになる。そもそも教育は「教えること」、学びは「自分で学ぶこと」です。その意味では、教育と学びの技術は違います。教育には学校が必要かもしれませんが、学びはオンラインなど学校以外のコミュニティーでも深めることができるのです。私の場合は1980年代でしたが、ネットを通じて人と出会って学んだほうが大きなメリットがあると考えて、大学を中退しました。

――Web3の時代は、世の中にあるリソースに誰もがアクセスしやすくなり、どんな子どもでも場所や距離に関係なく、自分で学ぼうと思えば、学べる時代になるということですね。

私がMITメディアラボにいた頃、13歳のインドの女の子が突然訪ねてきました。インドの小さい村からやって来たのですが、YouTubeで学んで、パーフェクトな英語を話す子でした。昔ならアクセスが難しかった環境から、ネットでさまざまなことを学び、MITで学びたいとやって来たのです。この時代、やりたいことがあれば、どこにいてもチャレンジできる。それが今のインターネット革命なのです。

今の教育システムに向いてない子どももサポートしやすくなる

――そうなると、学校の役割はどのように変わっていくのでしょうか。

今の学校教育に向いている子は、たくさんいます。例えば、僕の妹は学校でよい成績を取り、大学で2つの博士号を取りました。一方、僕は大学を中退して、全然ダメな子でした。しかし、子どもたちは多様で、興味関心も違うし、学び方も違います。自分で学びたいと思っていても、あまり人の言うことを聞きたくない子であれば、今の教育システムには向いていないのかもしれません。しかし、Web3の時代では、そうした子どもたちもサポートしやすくなります。

例えば、ノーベル賞受賞者の多くは幼い頃から自分の好きなこと、興味あることを追求してきた人が多い。日本のノーベル賞受賞者は29人ですが、MITは1つの大学だけで98人います。これは、日本の学校が、自分の興味があることよりも教科書にあることをみんなで学ぶべきであり、やりすぎや極端なことはよくないという発想が生み出した結果といえるのではないでしょうか。子どもの興味を抑制する、あるいは伸ばすという考え方一つで、圧倒的な違いが生まれるのです。

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