Web1.0時代の教育改革も始まっていない

――Web3(Web3.0:ウェブスリー)といわれる時代に突入しつつある中、今後教育の形はどのように変わっていくとお考えでしょうか。

Web3と言う前に、そもそもWeb1.0、Web2.0の教育改革も始まっていません。従来の教育は情報を与えること、つまりコンテンツを提供することに意味がありましたが、Web1.0の時代に入り、ネットを通じて誰もがどこからでも情報にアクセスできるようになりました。

そういう時代には、先生は情報を与えるのではなくコーチのようになるべきであり、授業についてもディスカッションやプロジェクト型教育、あるいは学校の中と外をつなげる接続型教育に移行すべきです。しかし、それがほとんどの学校でできていません。

Web2.0の時代では、SNSやゲームなどを通じて、読むだけでなく書くこともできるようになり、多くの人とコミュニケーションを取ったり、誰もがディスカッションして自分の主張を世の中に公表できるようになりました。例えば、大学の専門的な学術論文集に発表しなくても、誰もが発表の場を得られるようになりましたよね。

そしてWeb3の時代になると、ブロックチェーン技術を通じて、特定企業のサービスを経由しなくても、誰もが個人で簡単にデジタルリソースを利用できるようになります。会社を起こしたり、研究を運営したり、報酬をあげたり、もらったり、投票したりなどして組織に参加できる。たとえ小さな子どもでも、会社の運営に携わることができるなど組織の中で学びができるようになり、教育もこれまでの形とは大きく変わっていくと見ています。

昔は大人のほうが知識を持っていましたが、今は若い子のほうがデジタルを直感的に理解しているし操る力も持っています。だから、今まで学校の中でやってきたことが、勝手に外で起こってしまうようになる。そもそも教育は「教えること」、学びは「自分で学ぶこと」です。その意味では、教育と学びの技術は違います。教育には学校が必要かもしれませんが、学びはオンラインなど学校以外のコミュニティーでも深めることができるのです。私の場合は1980年代でしたが、ネットを通じて人と出会って学んだほうが大きなメリットがあると考えて、大学を中退しました。

――Web3の時代は、世の中にあるリソースに誰もがアクセスしやすくなり、どんな子どもでも場所や距離に関係なく、自分で学ぼうと思えば、学べる時代になるということですね。

私がMITメディアラボにいた頃、13歳のインドの女の子が突然訪ねてきました。インドの小さい村からやって来たのですが、YouTubeで学んで、パーフェクトな英語を話す子でした。昔ならアクセスが難しかった環境から、ネットでさまざまなことを学び、MITで学びたいとやって来たのです。この時代、やりたいことがあれば、どこにいてもチャレンジできる。それが今のインターネット革命なのです。

今の教育システムに向いてない子どももサポートしやすくなる

――そうなると、学校の役割はどのように変わっていくのでしょうか。

今の学校教育に向いている子は、たくさんいます。例えば、僕の妹は学校でよい成績を取り、大学で2つの博士号を取りました。一方、僕は大学を中退して、全然ダメな子でした。しかし、子どもたちは多様で、興味関心も違うし、学び方も違います。自分で学びたいと思っていても、あまり人の言うことを聞きたくない子であれば、今の教育システムには向いていないのかもしれません。しかし、Web3の時代では、そうした子どもたちもサポートしやすくなります。

例えば、ノーベル賞受賞者の多くは幼い頃から自分の好きなこと、興味あることを追求してきた人が多い。日本のノーベル賞受賞者は29人ですが、MITは1つの大学だけで98人います。これは、日本の学校が、自分の興味があることよりも教科書にあることをみんなで学ぶべきであり、やりすぎや極端なことはよくないという発想が生み出した結果といえるのではないでしょうか。子どもの興味を抑制する、あるいは伸ばすという考え方一つで、圧倒的な違いが生まれるのです。

どんな子も、その子が夢中になることを大人は応援すればいい。そこから育てていくべきだと私は考えています。日本の教育は大量生産型の考えからまだ抜け出していませんが、クリエーティブなWeb3の世界では、誰かが上手にやっていることをする必要はなく、むしろみんなができないことをやることが大事になってきます。

そこではパッションを見つけて育てることが重要です。だから先生は、子ども側の立場に立って一緒に興味を持ってあげたり、背中を押すようなメンターであるべきだと考えています。メンターはネットで探すこともできますが、それが学校の中でできればよりいいですね。

今、学校の先生は業務が多いばかりでなく、1クラス30人超で一人ひとりの子どもとの関係性をつくりにくい。先生と子どもの比率を変えたり、学びや試験をデジタル化するなどして、一緒にプロジェクトをやったり、遊びの部分を活性化できるといい。困ったときに助けてあげられる子どもの味方のようなポジションになるほうが、先生にとっても本当はいいと思うんですよね。

今はやりたいことがあれば、どこにいてもネットでさまざまなことを学び、チャレンジできると伊藤氏は話す

日本はあまりにもノーマルに合わせようとしてきた

――今の日本の子どもたちの学びについては、どう見ていますか。

僕は本来、大人になっても学び続けるという、やる気が大事だと思っています。大人になっても学び続けなければ、今の世の中を生き抜いていくことはできません。いわば、内在的な動機と興味とパッションを見つけられるかどうかが人生の勝負になるわけです。

幼い時に子どもが興味のあることをやろうとしても、もし大人がダメだと言ってしまえば、それっきりやらなくなってしまいます。そこで“お利口さん”になってしまえば、言われたことをきちっと処理するだけの人間になってしまう。あるいは、そこで落ちこぼれてしまえば、引きこもりになってしまうかもしれません。

義務教育にピッタリはまる子もいれば、そうでない子もいる。日本はこれまであまりにもノーマルに合わせようとしてきました。しかし、ノーマルは理想であって、本当にノーマルな人などほとんどいないはずです。今後、子どもたちの興味や関心をもっと大人が受け入れていけば、日本はもっと元気になれると思います。

――GIGAスクール構想についてはどう評価されていますか。

1人に1台の端末を配布しネットワークにつなげることは、非常に重要なステップの1つだと考えています。ただ、そこからどのように活用していくのか。今後Web3の時代が到来する中で、ネットワーク型の教育に移行すべきだと思うのですが、どうしても「これまでの教室での授業」の文脈でデジタルをやってしまっているように見えます。

先生の時間がない、やりたいけれどできないということもあると思いますが、親の期待もありますよね。結局、会社が求める人間を大学が、大学が求める人間を高校がつくっていて、そうした学歴を持っている人を会社が雇うというシステムになっている。今、社会でどういう人たちが評価されているかにつながっていて、最終的に行き先のない学び方をなかなか親は認めません。

そういう意味では、人の評価の基準を根本的に見直して、考え方を変えるべきだと思います。企業においても働き方の評価を見直す動きがありますが、企業のあり方が大学や高校のあり方につながっている。プロジェクトで評価されるとか、大学を出なくても評価されるようないろいろなプロセスができるといいと考えています。

――確かに、よい大学から一流企業へという考え方は依然として根強いですよね。

あるシリコンバレーの一流企業には、学位と仕事の能力についてあまり関係性がないというデータがあるのですが、採用で学位以外の評価の仕方がわからないと議論になったことがあります。最近はオンラインコースで学んだ学生も雇用する方向にだんだんとシフトしてきていますが、ほかにも新しい評価基準があってもいいと思います。

例えば、シリコンバレーの企業では自閉症の人たちが、たとえコミュニケーションが苦手でも評価しますし、彼らが活性化されるような環境もつくれるところに強みがあります。MITも同様で、それは文化ですよね。

日本では、空気が読めない人は会社の中で出世できず、有名大学卒の人たちが物事を決めていくという文化があります。それが教育のあり方や評価システムにつながっていて、社会の問題だと思います。しかし、日本でも20代はだんだん違う方向にシフトしているように見えます。企業や大学、何のために就職するのかなどに対するステータスの感じ方が違ってきている。そうした20代が将来リーダーになるようになれば、日本の文化も変わっていくと考えています。

学校の外の学びを活性化し、学校の学びにつなげることが重要

――日本と米国の教育はよく比較をされますが、伊藤さんはどう見ていますか。

日米を比較して、米国がいいとは決して言えない。米国から見ると日本は安定していてフェアな教育がある。でも日本には多様性がなくて、米国には面白い研究が多くありますよね。

僕は自閉症について勉強していることもあり、その観点から言えば、米国では自閉症の子どもたちに対するサポートが進んでいます。例えば行動分析型教育というものがあるんですが、これはよいことをしたらアメをあげて、悪いことをしたら罰を与えるというように、その子の行動を見て直しながら育てていくというものです。

その基本は、外の評価によって子どもたちは何をしなければいけないのかを学ぶ、それをひたすら繰り返すことにあります。しかし興味深いことに、そうして育てられた人は「それは自分ではない」と。何をすればいいかを理解して行動はできるが、シミュレーションを繰り返しているにすぎず、「自分として生きたかった」と言います。

でも、この自閉症の子の研究は、普通の子にも当てはまりますよね。本当は好きなことがあるのに、外の評価を気にして、やりたくないことをするとストレスを感じてしまう。教育についても同様で、その改善ポイントは子どもの特性に合わせていくことにある。今、米国では、この考え方が主流になりつつあります。

もう一つ、米国では学校の内と外をつなげる接続型教育、コネクティッドラーニングが進んでいます。学校の外で学んだことが、学校での評価とリンクして評価を受けるというものです。

よくよく考えてみると、大学を卒業してきちんと就職している人ほど、親の友達やクラブの先輩など学校の外にいろいろなネットワークがあって、そこで学びを得た人が多いですよね。つまり、学校の中で学んだだけでよい会社に就職できるわけではない。データを見てもそうなのですが、エリート教育を受けられる子とそうでない子の差は、この学校の外の機会があるかどうかにあります。

では、インターネット時代における学校の外の機会とは何か。子どもたちが今、学校以外でいるところといえば、YouTubeやMinecraftですよね。そこでの学びを活性化して学校の学びにつなげていくことが重要で、最終的にはその学びをリアルな機会につなげていくというのが接続型教育です。今、米国ではかなり研究が進んでおり、来年春には僕も日本に持ち込みたいと考えています。

――日本の大学教育ついてはどのようにお考えでしょうか。

プロジェクト型で学ぶことが非常に重要になっていると思います。学部の段階から、何のためにこの学問を学んでいるのかを明確にすべきです。MITメディアラボでも学部生を大学院の研究メンバーに受け入れたことで、やる気を出して勉強するようになりました。学部生も大学院の研究に参加させたほうがいいと考えています。

また、異業種の人たちが集まるプロジェクトなどに学部生を参加させることも必要です。とくにものづくりはコラボしやすいのですが、そこにはきちんとしたパーパスが欠かせません。台湾の政治家・プログラマーであるオードリー・タン氏も言っているように、社会に貢献したいというパーパスの下、いろいろな人が集まってプロジェクトに参加することによって、学びが起こるのです。今は個性豊かな人材を集めてチームで闘う時代。プロジェクト型教育によって、そうした人材を育成していきたいと思っています。

――理系の話はよく出ますが、文系はどうでしょうか。

今は文系に少しテクノロジーを交ぜたほうがいいのかもしれません。例えば、ゲーム業界ではクリエーティブな人でもテクノロジーがわかるから、ビジネスモデルを変革することができるし、どんどん自分たちで何でも作ってしまいます。文系に応用技術が入れば、何かを生み出す力は大きくなります。

日本ではリーダーになりたい人は法学部や経済学部に進みますが、米国ではリーダーになりたい人でも理系に進んでいます。実際、米国の投資銀行でも新人の半分ぐらいは技術者です。

僕もMITとハーバード大学で講義をしていたのですが、MITから法学部に入る学生が増えています。そういう意味では、若いときにテクノロジーを学んで、その後、文系に行くほうが自然かもしれませんね。日本でも数学が苦手だから文系という考えから脱却していけば、新たな可能性が開けると考えています。

――今、日本の教育に対してはさまざまな指摘がありますが、アドバイスはあるでしょうか。

日本の教育でうまくいっている部分はそのままでいいと思います。ただ、世の中には僕みたいな、ちょっと変わった子が全体の10分の1くらいはいるはず。でも、隠れているか、潰されているか、機会をもらえていない子どもが多いと思います。そうした子どもたちのやる気を潰さずに、うまく機会を与えればいい。そうすれば、少しは多様性も増えて、今までできていなかったことが、少しはできるようになると思っています。

伊藤穰一(いとう・じょういち)
デジタルガレージ 取締役 共同創業者 チーフアーキテクト、千葉工業大学 変革センター所長
デジタルアーキテクト、ベンチャーキャピタリスト、起業家、作家、学者として主に社会とテクノロジーの変革に取り組む。民主主義とガバナンス、気候変動、学問と科学のシステムの再設計などさまざまな課題解決に向けて活動中。1995年デジタルガレージ設立。2011年から19年までは、米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの所長を務め、15年のデジタル通貨イニシアチブ(DCI)の設立を主導。また、非営利団体クリエイティブコモンズの取締役会長兼最高経営責任者も務めた。ニューヨーク・タイムズ、ソニー、Mozilla財団、OSI(The Open Source Initiative)、ICANN(The Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)、電子プライバシー情報センター(EPIC)などの取締役を歴任。16年から19年までは、金融庁参与を務める。これまでの活動が評価され、オックスフォード・インターネット・インスティテュートより生涯業績賞、EPICから生涯業績賞をはじめとする、さまざまな賞を受賞。「Earthshot 世界を変えるテクノロジー」の番組共同MCを務め、ポッドキャスト「JOI ITO 変革への道」では定期的にNFTに関する話題を取り上げているほか、Web3コミュニティーの試験的な開発に取り組んでいる。慶応大学大学院政策・メディア研究科にて博士号取得。近著に『テクノロジーが予測する未来 Web3、メタバース、NFTで世界はこうなる』(SB新書)

(文・國貞文隆、撮影:梅谷秀司)