EdTech( Education×Technology)を定義する
「デジタルテクノロジーを活用した教育のイノベーション」。インタビューの冒頭、EdTechを定義する佐藤昌宏氏は「これまでの教育のルールを変革し、ゲームチェンジを起こすインパクトのある波だともいえるでしょう」と続ける。
ほかの業界にもたらした影響を見れば、わかりやすいかもしれない。デジタルメディアの世界で生まれた広告のAdTech(Advertising×Technology)は、テレビやラジオ、新聞、雑誌といった旧メディアの大変革を引き起こした。FinTech(Finance×Technology)もビットコインをはじめ、新しい金融サービスを次々と生み出す土壌となっている。ICTを活用してイノベーションを起こすXTechの潮流は、これまで変わりにくかった農業やヘルスケアの領域にも押し寄せている。「XTechによって、産業構造や競争原理、仕組みや制度そのものが再定義される」と佐藤氏は指摘する。
そして、教育だ。「EdTechの考え方は2009年ごろのアメリカから広がりはじめました。例えば、大学の講義をオンラインで誰でも受講できるmooc (Massive Open Online Course)は、学位を出すまで社会に浸透しています。日本では、政府の未来投資戦略2017の中で言及され、国策として積極的に取り組むようになりました。今、進められているGIGAスクール構想はまさにその一環なのです」。
「一方で」と佐藤氏は続ける。「EdTechは教育にもたらされるイノベーションと定義しましたが、イノベーションにはビフォーアフターが伴います。つまり利便性の向上や価格の低下をはじめとする劇的な効果があってはじめてイノベーションと呼べるのです。ですから、ツールを導入するだけではなく、そこには大きな変化が必要なのです」。
例えば、授業中に1人ひとりがコンピューターで検索をして調べ物をする。辞書しか持ち込みが許されない教室と比べ、雲泥の差があるのではないだろうか。佐藤氏は付け加える。「汎用的なツールを入れただけでも、劇的に変わることがあるのです」。
教育を科学する、多彩なチャレンジ
いみじくも、新型コロナウイルス感染症の拡大によってEdTechの差が浮き彫りになったことも事実だ。
「お隣の中国では子どもたちの学びは止まりませんでした。確かに学校での教育は中断されましたが、自宅で学習する“学び”が継続されたのです。それは中国がEdTech先進国だからにほかなりません。今や、EdTechにおいて中国はアメリカを抜いて世界トップの地位にあります。韓国でも小中学生の学びは止まりませんでした。しかも、生徒など感染者が発生した場合のプランBを用意しており、国策としてリアルとオンラインのハイブリッドの仕組みを構築しています。イギリスでは21年3月まですべての講義をオンラインで実施すると決断した大学があります。リアル講義の代替、劣化版ではなく、オンラインならではのすばらしい教育を提供すると掲げ、だからこそ学費返還の求めには応じないと宣言しているのです」
これらの国々はコロナ禍になったから急に準備を始めたわけではない。それ以前から試行錯誤を繰り返しながら経験を積んでいたからこそ、子どもたちに新たな学びの機会を提供できた。
「そもそもICT教育に熱心だったアメリカやイギリスは言うまでもありませんが、中国では2015年に掲げたインターネットプラスという国家方針のもと、教育分野でのICT活用が進展し、今ではアプリやサービスなど関連産業も大きく成長しています。ヨーロッパではフィンランドの名を見聞きすることが多いと思いますが、スカイプを生んだIT先進国であるエストニアも見逃せません。人口は約130万人。1人ひとりの学習ログを電子カルテのように管理し、国民の学びをデジタルでマネジメントしています。アジアではシンガポール。理想とする社会人像を定義し、そのために必要なスキルと本人とのギャップを埋めていくスキルズフューチャーという職業人教育の仕組みにICTを活用しています。これは、教育を科学する挑戦ともいえるでしょう」
そればかりではない。「イスラエルのリーダーや技術エリートを育成するタルピオットプログラムが注目されていますが、ここにもEdTech が用いられています。そして、ルワンダ。アフリカの奇跡と称賛されるほど経済成長が著しいルワンダでも、子どもたちのタブレット1人1台体制を整え、IT教育を強化しています。私が知る限り、国策として義務教育の児童生徒に1人1台のコンピューターを与えている代表的な国は、ルワンダと日本です」。
もはやEdTechを疑問視する時代ではなく、現実を直視する必要があるだろう。すでに世界の国々では当然のようにICTが教育分野のインフラとして機能している。「1回利用すればやめられなくなるほど利便性や効果が高いことが認識されているのです」と佐藤氏。「例えば、仕事でeメールを使わないという選択肢はありませんよね」。さらに忘れてはならないのは、教員や学習環境が十分ではない地域にこそ、EdTech は大きな恩恵をもたらすということだ。
「重要なことは、EdTechに対する姿勢はその国が人材育成を国家戦略と考えているか否かにかかっているのです。資源がなく国土が小さな国が大国に伍していくためには優秀な人材を育成するしかありません。つまり、EdTechを積極的に導入している国々はすべて人材育成を国家戦略として位置づけているのです」
佐藤氏は強調する。「もっと言えば、その国の課題や意識が、教育のカタチを形成していくのです。しかも、時代ごとに国の置かれている状況や課題も変わっていくでしょう。ならば、教育のカタチも変えていかなくてはなりません。少子高齢化が進む日本も例外ではありません。確かに教育が政治によって歪められた時代もありましたが、EdTechはそれに当たりません」。
「主語を変える」とは
では、日本でEdTechを導入することによって、何を変えていかなくてはならないのか。
「象徴的に言えることは、“教育”から“学び”に変えていく。主語を変えるのです」。どういうことか。「教育の主語は教える側、つまり、先生や親になりますが、EdTechによって児童生徒が主語となる“学び”の世界に変わるということです。これまで、教員とは教えを請うという関係でしたが、今はインターネットにつながったパソコンが1台あれば、自分の知的欲求を徹底的に満たすことができます。コストもリーズナブルになり、時間や空間の制約を超えて、各自の学習スタイルで学べるようになりました。これまでの教育が一斉授業の教室型なら、今は1人ひとりの学習ペースに合わせて、丁寧に寄り添うこともできる。つまり、学びを個別最適化することにもつながるでしょう」
そのためにも、GIGAスクール構想が大きなカギを握る。教室にコンピューターを持ち込むことで授業に関係のない動画を見るのでは、といった懸念材料がないわけではない。しかし、逆にコンピューターの活用を抑制することが、子供たちの積極的な学びの機会を邪魔することになりかねないと佐藤氏は指摘する。
「インターネットの浸透によって、知のあり方がゲームチェンジしていく中で、子どもたち自身が学びの姿勢を変えつつあるのです。実際、ネットでは、自分が勉強する姿をアップするというトレンドがあり、視聴回数が数万に達している動画もあります。あえて勉強中の姿を公開することによって、自分が見られているというプレッシャーをモチベーションに転換している、また承認効果が得られることも大きいでしょう。一方、視聴者側は、自分もまねて勉強し続けなければならないというミラー効果があるのです。子どもたち自身は言語化できていないかもしれませんが、自然にITツールを使って、自分が勉強しやすい環境をつくりあげているのです」
最後に、これからの教職員の役割についてコメントをもらった。
「今、何が起こっているのかを知ってほしいと思います。世界の教育イノベーションの動き、ICTの可能性、そして子どもたちの動きです。確かに、専門家の議論と現場との間にギャップがあることも事実でしょう。しかし、GIGAスクール構想で日本の教育現場は大きく変わっていきます。義務教育の児童生徒1人1台を与えることによって世界トップクラスの環境が手に入るのです。それだけ大きな可能性があるということです。ただ誤解してほしくないのは、ICTの活用は、あくまでも手段にすぎないことです。目的は、自ら積極的に学びに向かう子どもたちを育てるためにある。ですから、これから教育は知識を注入するのではなく、子どもたちが自らの学びを構築していくことを支援する役割になってほしいと期待しています」
(写真は本人提供)