知見や教訓を得ないまま「儀式化」が進む裁判 映画監督、作家 森 達也氏に聞く

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もり・たつや 1956年生まれ。立教大学法学部卒業後、広告代理店、不動産会社、商社、テレビ番組制作会社などを経て96年独立。明治大学特任教授。映画はオウム真理教信者たちの日常を映した『A』、続編『A2』、作曲家・佐村河内守に密着した『FAKE』、『i─新聞記者ドキュメント─』など。著書も多数。(撮影:今井康一)
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U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面 (森 達也著/講談社現代新書/1000円+税/276ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。
2016年、死者19人、負傷者26人を出し日本中を震撼させた相模原障害者施設殺傷事件。元職員・植松聖(さとし)の裁判は初公判からわずか1カ月強で結審、死刑が確定した。かつてオウム真理教・麻原彰晃の判決公判に立ち会った著者は強烈な既視感を覚える。それは、最初から凶悪事件に死刑ありきで裁判が儀式化している現実。結果的に事件の動機や背景の解明は不十分なまま、次々と闇へ葬り去られている現実だった。

凶悪犯に死刑、の大前提 精神鑑定はほぼ添え物状態

──既視感を抱かれた光景とは?

植松聖への判決が迫る中、改めて資料を読み込んで気づいたのが、彼の精神状態を正面から問題視する議論がほぼ皆無なことでした。卑劣、邪悪、冷酷などステレオタイプな語彙で悪のアイコンが造形され、罰せられて当然という空気が固まった中で裁判は進行した。

17年前、オウム・麻原彰晃の判決公判で目にした光景がよみがえりました。刑務官に支えられ座っていた麻原は、どう見てもまともじゃなかった。そもそも裁判の途中から彼は弁護団と意思疎通できなくなっていた。ほぼ意識喪失状態の被告を「訴訟能力なし」とはせず裁判は粛々と進行し、一審で死刑が確定。そのとき抱いた違和感、同時期に取材を始めていた死刑問題に対する違和感、植松の裁判はその延長線上にあるとふと思った。急きょ拘置所へ彼に会いに行き、モヤモヤは確信になりました。

──植松の弁護団は、心神喪失状態での犯行であり責任能力なしと主張、それを被告自ら強く否定する経緯がありましたが。

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