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1973年の極秘文書で現れた日ソ首脳会談の亡霊 領土問題に関わる文書で生じた懸念を消した日本政府

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1973年10月に行われた田中角栄首相とソ連のブレジネフ共産党書記長の会談の極秘記録が出回っている。それに基づく記事が、5月6日の朝日新聞朝刊に掲載された。〈日本政府が北方領土交渉の基本方針とする「四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結」を口頭で確認した、1973年10月の日ソ首脳会談の極秘議事録が見つかった。当時ソ連を訪れた田中角栄首相が、領土問題の議論に応じないブレジネフ書記長から、共同声明案の文言に領土問題が含まれるとの認識を引き出す様子が詳細に記されていた。/外務省でソ連を担当していた東欧1課が作成した文書「田中総理訪ソ会談記録」で、「極秘 無期限」と記載。当時副総理だった三木武夫元首相が保管しており、死後母校の明治大学に寄贈された文書の中にあった。73年の日ソ首脳会談の議事録全体が明らかになったのは初めてだ〉(5月6日付朝日新聞朝刊)。

これは、いまだに外交秘密が解除されていない極秘文書だ。しかし、明治大学史資料センターの編集により、この文書を『オンライン版 三木武夫関係資料』として、ある古書店が全4部240万円(消費税別)で販売している。外交秘密で金儲けをするという、言語道断の話だ。秘密解除がなされていない外交秘密文書を自宅に保管し、それが広く漏洩されるような事態を招いた故三木武夫氏の責任は極めて重い。〈議事録によると、田中氏のソ連滞在中4回あった首脳会談の3回目に、ブレジネフ氏が領土問題の対立で未締結の平和条約とは別に「平和と協力に関する諸原則を作ったら」と打診。田中氏は領土問題が棚上げにされかねないとみて拒んだ。/田中氏は平和条約締結交渉の対象に「歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の四島」と明記せねば会談後のコミュニケ(共同声明)に応じないと主張。これにはブレジネフ氏が「不可能だ。交渉継続が受諾できないならコミュニケに入れなくてよい。日本の問題だ」と反論した。/最後の会談でも、ソ連側の共同声明案の「第2次大戦時からの諸問題を解決し平和条約を締結する」というくだりをめぐり、両首脳は「諸問題」とは何かで応酬。田中氏が「その(諸問題の)中に四つの島が入っていることを覚えておいてもらいたい」とただした。/ブレジネフ氏は「ヤー ズナーユ(知っている)」と発言。田中氏が「諸問題の中に四つの島が入っていることにつき確認をもう一度得たい」と詰め、ブレジネフ氏は「ダー(そうだ)」とうなずいた。共同声明はソ連案で落ち着いた。/当時の東欧1課長で首脳会談に同席した新井弘一氏は朝日新聞の取材に「ヤー ズナーユという言葉では弱かったので、『もう一度ご確認を』と書いたメモを隣の大平正芳外相(当時)を介して首相に渡した」と話す。/この会談で口頭確認された「四島の問題を解決し平和条約を締結」という方針は、93年の日ロ首脳会談の際の東京宣言で明文化され、2013年に安倍内閣が閣議決定した初の国家安全保障戦略でも「一貫した方針」として確認されている。一方、政府は北方領土交渉について今もロシアと継続中であることを理由にソ連当時からの記録を開示していない。今回の記録について外務省は「民間が所有する文書に関しコメントする立場にない」としている〉(5月6日付朝日新聞朝刊)。

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