読者の多くは「Japan Bashing」(日本たたき)や「Japan Passing」(日本素通り)を覚えているに違いない。日米関係を表現する言葉である。ほぼ20年前のことなので、若い読者はご存じだろうか。
1998年6月25日、ビル・クリントン米大統領は中国の西安を訪れた。その後、北京で当時の江沢民国家主席との首脳会談、さらに上海、桂林訪問などで9日間も滞在したにもかかわらず、同盟国の日本に立ち寄らなかったのだ。クリントン氏の「ジャパン・パッシング」には当然、理由があった。
80年代末から90年代初頭にかけての日米関係は、まさに現在の米中のように「貿易戦争」の真っただ中だった。
対日貿易赤字に悩むブッシュ(父)政権の通商代表部(USTR)は貿易不均衡の是正を掲げ、市場開放や対米自動車輸出規制などを強く求めた。こうした中で、両国は日米構造協議(SII)をスタートさせたが、米側は、当時の日本市場の閉鎖性(関税障壁)は日本独特の「政・官・業癒着のトライアングル」に起因すると、異例の批判を繰り広げた。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録いただくと、有料会員限定記事を含むすべての記事と、『週刊東洋経済』電子版をお読みいただけます。
- 有料会員限定記事を含むすべての記事が読める
- 『週刊東洋経済』電子版の最新号とバックナンバーが読み放題
- 有料会員限定メールマガジンをお届け
- 各種イベント・セミナーご優待
無料会員登録はこちら
ログインはこちら