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もう反対はしない 雪国にも戻らない [INTERVIEW] 大平喜信 雪国まいたけ創業者

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雪国まいたけの内紛劇の主役ともいうべき人物が創業者の大平喜信氏である。これまでの経営陣との対立の経過などを語った。

1948年生まれ。中学校卒業後、木工製作所や磁石工場勤務などを経て雪国まいたけを創業(撮影:今井康一)

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──TOBに関してはどういうアプローチがありましたか。

今回は何も連絡がなかった。去年の夏ごろ、ベインキャピタルから私に電話があって、今回のような提案をもらった。出資比率で折り合わなかった。私は35%以上の株保有をお願いしていた。ほか複数のファンドとも話をして、いい条件が出てきた。だが、いきなりこういうこと(TOBの発表)が起きた。何が起きたかさっぱりわからなかった。

借り入れは雪国の株を買うためのものだった。1年半くらい前から約束どおりの返済ができなくなっていたが、少しずつ返そうとはしていた。1月も200万円くらいのおカネを作って、返済していた。

──TOBがこのタイミングだったのはなぜだと思いますか。

臨時株主総会を心配したのだろう。かつて決算が大赤字になったときに、これをチャンスと見て幹部だったA氏が社長になりたいという野心を持ったようだ(注:A氏は否定している)。ほかにも聞き捨てならない話があった。そこでA氏を取締役から外すことを決めると、彼は告発文を取引銀行や東京証券取引所、証券取引等監視委員会などに送った。私から見れば、これには真実と作り事が混ざって記載されていた。

その後の調査委員会の報告書には「強すぎたリーダーシップ」という記載がされた。大平が強すぎた、部下がそれを慮って不適切な経理をしたと。それで社長を辞任した。だが、跡を継いだ経営陣もとんでもないと思った。農薬などの検査もムダだとやめる決定をしたから(注:検査の頻度を減らす決定をした)。

(引責辞任したので)現経営陣を選んだときは、あまり人間関係のない人を選ばないといけなかった。経営陣に抜擢した後も、私は口を出せない状態で、信頼関係を築けなかった。本来は大塚(政尚)さんが社長になる予定だったので、そうしたら私が会社に入って栽培技術を支援しようというシナリオだった。

星名(光男)さんの跡を継いだ鈴木克郎さんは社長になる前、「重要な検査を減らすなんてとんでもない」と話していたのに自分が社長になっても変更しなかった。それで、プロパーで会社のことを熟知している取締役を増強しようと、臨時株主総会招集の請求をした。

──元経営者としての責任は?

後継を育てられなかったことは反省している。数年前に「雪国もやしは高いから買うな」というCMを流したように、私の考え方は人とは少し違う。理解できる人を育てようとしたがあきらめた。6~7割を理解できる人はいたが、不適切会計にかかわったとして、外されてしまった。

不適切会計のことを調査で認めなければ上場廃止になると周囲から言われた。それで認めてしまったが、今思えば上場廃止になったとしても、もっと争えばよかった。私がとんでもなくコンプライアンスの低い人間と判断された。

──今後、対抗策はありますか。

結局、銀行が求めたのは返済ではなく、臨時株主総会をやめることだった。納得いったわけではないが、みんながいいということにあまり反対はしていない。TOBには応じることになるのではないか。もう雪国には戻らない。世の中にはもっと楽しいことがたくさんある。

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