スカイマーク創業者 澤田秀雄(エイチ・アイ・エス会長)激白 乱気流に散った「航空革命」の夢
スカイマークの経営破綻後、創業者の澤田秀雄氏はずっと沈黙を守ってきた。LCC(格安航空会社)時代の到来をいち早く見抜いた人物。「航空革命」を夢見た起業家には、今のスカイマークの姿は想像できたのであろうか。
国内航空3位のスカイマークが自力での経営再建を断念し、民事再生法の適用を東京地裁に申請したのが1月28日。この1カ月、創業者の澤田秀雄氏は事態の推移を複雑な思いで見守ってきたはずだ。
旅行会社、エイチ・アイ・エス(HIS)を急成長させた日本を代表するベンチャー企業経営者の一人だが、1996年に創業したスカイマークの経営に長く携わることはなかった。乱気流に巻き込まれるように迷走しついには破綻した西久保スカイマークを、澤田氏はどう見ていたのだろうか。
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──スカイマークエアラインズ(当時)をなぜ創業したのですか。
18~19年前、世界ではLCC(格安航空会社)が徐々に台頭し始めていた。日本でもそのような時代が来ると思った。ただ、40年間、新興の航空会社は設立されておらず、日本航空(JAL)や全日本空輸(ANA)に「(LCCを)作られたらどうですか」と言っても、「いや、日本ではもういらないから」という返答だった。じゃ、自分で作るしかない。設立当初は大手ほどの経験値やパワーがなく、競争にさらされると厳しかった。航空料金を半額にしたとき、搭乗率は80~90%になって、手応えがあったが、他社も半額にしてきた。そうすると、お客は同じ料金だったらブランド力のあるJALやANAに行ってしまう。その後、フレキシブルな料金体系を導入したり、経験を積んだりして、経営を立て直していった。7年くらいで10億円程度の黒字にして経営権を西久保(愼一)さんに渡した。
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