トヨタ自動車、新日鉄住金、東京電力などとともに財界を支えてきた東芝。歴代社長は経済団体の要職を務めるのが慣例だ。
「財界総理」の名をほしいままにしたのは、前身の東京芝浦電気時代に社長を務めた石坂泰三だ。徹底した自由主義経済論者で、経団連会長(1956~68年)として政界に資本自由化を強く訴えた。日本企業の国際経済への復帰を支えた人物である。
豪腕で知られる石坂だが、後任の社長選びは一筋縄では行かなかった。販売畑の岩下文雄にバトンを渡したが、放漫経営で業績悪化。石坂は岩下の手腕に不満を持ち、石川島播磨重工業(現IHI)社長だった土光敏夫を社長として招き入れた。後に土光が「石坂さんが前任と十分に話し合わないうちに新聞に書かれた」と新聞記者に語ったほどに慌ただしいすげ替えだった。当時の経営難と、石坂と岩下の確執は、「東芝の悲劇」として広く知られた。
土光は徹底した合理化を進めて東芝を業績回復へ導いた。石坂同様に経団連会長(74~80年)を務めた土光は、「行動する経団連」を掲げ石油ショックに苦しむ産業界を牽引。傘寿を過ぎてからは人生最後の仕事として、行財政改革に身をささげた。
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