何年かごとに通俗日本文化論が流行する。国際情勢などでナショナリズムの心情が刺戟される時が多い。日本文化はこんなにすばらしいと保証されることで自信が湧くからだろう。
私はこういう通俗日本文化論に冷笑的だ。そもそも、日本文化がすばらしくなかったらナショナリズムは成り立たないのか。自国の文化がすばらしかろうとすばらしくなかろうとナショナリズムは自然の感情としてあるはずだろう。自国の文化がすばらしくないと立証されたら、そのナショナリズムは否定され、外国の文化に鞍替えすべきなのだろうか。
最近人気があるのが旧皇族の竹田恒泰の手になる日本文化論である。まだ30代でもありポップ感覚にも敏(さと)く、マスコミでも引張りだこである。その『旧皇族が語る天皇の日本史』を読んでみたが、感心できない。基本は天皇には名君が多いという論調だが、暗君が多かったら天皇制に意味はないのだろうか。
ポップ感覚の構成にも疑問がある。挿絵を担当したのは辛酸なめ子だが、壬申の乱の項には、大友皇子が手習いをしている絵が添えられている。そこで大友皇子が「いろは歌」を書いているのには笑った。300年以上時代がずれている。ギャグのつもりなのだろうか。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待
無料会員登録はこちら
ログインはこちら