既存の教員だけでは人材育成に対応できないという「危機感」

転職サイトの運営や人材サービスを展開するビズリーチと、独立行政法人国立高等専門学校機構(以下、高専機構)は2022年2月、民間企業のプロフェッショナル人材を教育現場で「副業先生」として活用するための連携協定を締結した。

高専機構理事長の谷口功氏(左)と、ビズリーチ代表取締役社長の多田洋祐氏(右)
(写真:ビズリーチ提供)

目指すのは、学生の学びの質の向上と、次世代のITプロ人材の育成だ。高専機構理事長の谷口功氏は次のように語る。

「今の時代は、AIやIoTなどのデジタルを組み合わせチームで社会課題を解決できるイノベーション人材の育成が必要です。これまでも高専は社会実装を重視してきましたが、既存の教員だけでは対応が難しくなっているという危機感から、副業先生の活用を決めました」

ビズリーチ代表取締役社長の多田洋祐氏も「日本では学生がキャリアを考えるうえでのロールモデルが少ない。学生にとって、民間のプロ人材による授業がキャリアを考えるきっかけとなれば」と述べる。

具体的には、ビズリーチが高専機構に対し、年3回程度の公募の無償提供のほか、効果的な採用活動のための情報提供や企画提案、業務用ツールの一部無償提供などを行う。

すでに21年に高専機構はビズリーチの協力を得て、国立高専で唯一のサイバーセキュリティー専門コースを設置する高知工業高等専門学校(以下、高知高専)でITプロ人材を公募。現役のビジネスパーソンを採用し、同年11月から授業をスタートさせた。22年3月末には岩手県の一関工業高等専門学校での公募も予定している。

高知高専での先行導入が好評なことから、内容を検証・改善しつつ全国の国立高専への展開を図り、25年までに全教員の1~2割を実務家教員とすることを目指す。

最前線の「サイバーセキュリティー人材」を副業先生として採用

高知高専では、どんな人材を採用したのか。昨年の公募では、応募者43名の民間人材のうち12名が高専OB・OGだったという。書類選考と面接の結果、4名の副業先生が採用された。

その一人である林憲明氏は現在、都内の大手サイバーセキュリティー企業に勤務する44歳のベテランエンジニア。会社ではプリンシパル・セキュリティ・アナリストとして最高位のエンジニアにランクされており、サイバー犯罪対策の調査・分析などに従事している。林氏もまた、高専の卒業生だ。

林 憲明(はやし・のりあき)
2002年に大手サイバーセキュリティー対策ベンダーへ入社。1年間の米国勤務から帰国後、日本国内専門のマルウェア解析機関を経て、先端脅威研究組織へ。単独で日本部門の立ち上げを行う。現在は、日本におけるサイバー犯罪対策、とくにオンライン詐欺を専門とした調査・分析業務を担当。研究諸機関や法執行機関における窓口として、情報共有や共同研究なども実施。警察庁「サイバーセキュリティ政策会議」委員。1998年3月、育英工業高等専門学校(現:サレジオ工業高等専門学校)卒業。2002年3月、電気通信大学電気通信学部電子物性工学科卒業。11年3月、金沢工業大学大学院知的創造システム専攻修了
(写真:林憲明氏提供)

「自分自身にロールモデルがおらず、もがき苦しんできたこともあり、OBの一人として高専生のキャリアデザインを応援したいという思いで応募しました。また、私が専門とするサイバーセキュリティー分野において、優秀なエンジニアを安定的に再生産していくことは社会課題であると捉えており、そこをライフワークと考えていることも大きな動機です」(林氏)

林氏は、これまでもサイバーセキュリティーの啓発活動の一環として、高校でシリアスゲーム開発の授業を行ったり、JNSA(NPO日本ネットワークセキュリティ協会)でゲーム教育ワーキンググループに立ち上げ期より参画したり、社外での教育活動にも複数携わってきた。そんな経験も踏まえ、高専生の社会的価値を高めるために必要なことについてこう語る。

「米国などでは『KSA』、すなわち、knowledge、skill、attitudeの3つが教育で伝えられることのすべてだといわれています。私はこれを日本語で、知識、技能、心得と捉えており、優秀な人材の育成に必要な要素だと考えています。高専生は知識と技能に優れていますが、今DX(デジタルトランスフォーメーション)が浸透する現場で重要視されているのは心得。副業先生としては、とくにこの心得を伝えていければと思います」

林氏は、半期に2コマ、4年生を対象とした科目「情報工学実験Ⅱ」を担当。2021年度は40名強の学生にセキュリティーの脆弱性診断を体験してもらう授業を行い、ヘルプの教員とティーチングアシスタントの5年生と共に進めた。コロナ禍もあり、実施は主にリモート。授業以外でも学生からリクエストがあり、部活動としてのレクチャーもしたという。

「今の会社に20年以上勤めていますが、これを機にピュアな気持ちを思い出すことができました。とくに学生が学び合い課題解決する姿を見て、自分の仕事の場でも生かしていきたいと思いました」と、林氏は話す。

林氏は、説明動画を流しながら学生と対話するなど、オンラインとリアルを融合した授業を心がけており、21年度はほかの高専教員の要望に応え、高知高専で使った授業コンテンツの提供も行った。「22年度も、どんな教員でも再現できる授業内容にしたい」と話す。

一方の高知高専も、大きな成果を得たようだ。学生の反応はとてもよく、教員もよい刺激を受けることができたという。高知高専ソーシャルデザイン工学科教授の岸本誠一氏はこう説明する。

「授業担当教員も実践的な最新技術を学べたと同時に、セキュリティーのような進展が速い分野では企業人の力が有効であることもわかりました。折に触れ、実際の業務や働き方の話もしていただき、学生のキャリア教育にもつながったと思います」

採用過程において、普段接することのない民間人材の職務経歴に触れたことで、学生のキャリア指導の幅が広がった。民間人材の採用ノウハウを学ぶ中で、組織づくりや人事戦略を考えるきっかけにもなったという。

副業先生のメリットは大きいものの、制度や採用の面で壁も

実はこうした動きは、高専だけではない。神奈川県横浜市の私立女子高校である英理女子学院高等学校の例も紹介しよう。2019年に「iグローバル部」を新設した同校は、STEAM教育など先進的な教育に力を入れているが、「グローバルプレゼンテーション」という授業に社会人を副業先生として起用した。その理由について、学校法人高木学園理事長の髙木暁子氏はこう説明する。

「世界で活躍するうえで重要なスキルの1つとなるのが、自分という人間を理解してもらうためのプレゼンテーション能力。実際に社会で仕事をする方々の知見は大いに参考になるはずですが、どうすれば本業のあるお忙しい社会人に来ていただけるのか。そう考えていた矢先にビズリーチの副業人材公募サービスを知り、活用することにしたのです」

こうした経緯で、19年の夏ごろからiグローバル部の1年生を対象にした課外講座として、副業先生による授業「グローバルプレゼンテーション」をスタート。20年度と21年度はコロナ禍を受け、総合的な探究の時間の一部としてオンラインで実施している。

ここを担う副業先生が、上原正太郎氏だ。47歳のMBAホルダーで、大手外資やスタートアップのテック企業にて、マーケティングや製品責任者として多くのサービス展開をリードしてきた。現在は日本マイクロソフトで、クラウドやAIを担当する。

上原 正太郎(うえはら・しょうたろう)
日本マイクロソフト在籍、小笠原流煎茶道教授。早稲田大学大学院工学修士、マギル大学デソーテルズ経営学部(MBA)修了
(写真:上原正太郎氏提供)

「将来的に大学教員への道などを考えていたこともあり、主にキャリア形成の観点から応募しました」と、上原氏。約150名の応募の中からたった1人選ばれた副業先生だが、社内向けトレーニング講師の経験はあるものの、高校生に教えるのは初めてだったという。授業では何を心がけているのか。

「インタラクティブに授業をしたいので、最初は信頼関係の構築に時間を割きました。プレゼンテーションはテクニックだけでなくマインドセットも併せて伝えています。また、ITビジネスの最前線で仕事をする臨場感も大切にしており、例えばサンフランシスコの出張直後に授業した際は、出張中の様子なども共有しました。ダイバーシティーの事例などを伝えることも意識していますが、逆に生徒さんたちの視点から学ぶことが多く、双方向によい刺激が生まれていると感じます」

上原氏の授業は、現在はリモート授業がメイン。2週間に1度、2コマ連続で担当している
(写真:英理女子学院高等学校提供)

「プレゼンテーションはビジネスの現場で役立つ実践的な授業で、今話題のメタバースに関する話など世の中のリアルな最新動向も教えていただいています。『こんなすごい先生の授業を受けられて、私たちは超ラッキー!』と言う生徒も。生徒たちはメリハリのあるプレゼンテーションができるようになっただけでなく、大きな刺激を受けています」(髙木氏)

髙木氏は今後も副業先生を継続する方針だ。コロナ禍が収束したら、リアルでの授業も含めて副業先生を増やしたいという。しかし、課題もあると話す。

「約150名もの方々に応募いただき、そうそうたる企業の方が日本の教育に関わりたいと思ってくださっていることに励まされました。一方、現状は教員免許の有無という縛りにより、多くの社会人の方に正規の授業をすべてお願いするのは不可能。しかし、社会の現状を生徒に感じてもらうには、社会人に教壇に立っていただくことが欠かせません。これからは制度も学校も柔軟であるべき。官公庁と民間を人材が行き来することを回転ドアと言いますが、将来的には学校と企業もそういった状態になればいいと思っています」

林氏も、副業先生の意義と課題についてこう語る。

「社会課題の解決には産業界のニーズ思考とアカデミアのシーズ思考の融合が求められており、副業先生はその橋渡しができると考えます。一方、社会人に学び直しは必要ですが、学校側も採用に当たって博士号取得などの条件を撤廃し、社会人の経験を高く評価すべき。両者の歩み寄りが重要です」

ビズリーチが20年に登録会員に対して行ったアンケート調査(回答数は約1700)によると、66%が「副業・兼業は、報酬よりも仕事内容を重視」、64%が「教育現場での副業・兼業に興味がある」と回答。教育現場で知見やスキルを生かしたい社会人が少なくないということだ。制度や採用などの課題を超えて副業人材をうまく活用できれば、時代に合った教育が期待できるだけでなく、教員の負担を軽減する一助にもなるかもしれない。

(文:國貞文隆、注記のない写真:高知工業高等専門学校提供)