杉良太郎が「アジアに学校をつくり続ける」訳 コロナ禍の今、次世代の子どもに伝えたいこと

ベトナムは、長い間戦争を強いられてきた
今、杉氏が設立した日本語学校の卒業生は多方面で活躍している。現在の駐日ベトナム大使、公使も卒業生だ。ベトナム政府の中枢にも卒業生がいる。
「私はこれまでいろんな国を回って現地を見てきました。その中で、なぜベトナムだったのかとよく聞かれるのですが、1989年、慈善公演を行うため初めてベトナムを訪れた時、ベトナムはまるで終戦直後の日本そっくりで、重なって見えた。そのような中で、ベトナムの人々と触れ合い、自然と『今のベトナムに何が必要か』を考えるようになり、1つずつ実践してきて、今に至ります。
ベトナムは長年、戦争を強いられて、政治も経済も文化も停滞していた。その戦争が終わって、私が訪越した当時、お会いしたド・ムオイ首相(後の書記長)は私に『日本は戦後、とても早く立ち直った。日本のようになりたい』とおっしゃった。当時のベトナムは高度成長を果たした日本を尊敬していたのです。私は日頃から思っていた『国づくりは人づくり。政治と経済だけでは国民はついてこない。文化の力でお互いを理解し、尊重し、交流をすることが重要です』とお答えし、ベトナム政府のトップと国の復興を手助けする固い約束をしました。そして、日本語学校を作ることにしたのです。図書館を備え、日本語の読み書きだけではなく、日本の文化も紹介し、理解をしてもらうところから始めました。訪越当初から、『将来、日本は必ずベトナムに助けられる時代が来る』そう思っていましたが、近年では、日本とベトナムは戦略的パートナーシップを結ぶところまできました」
杉氏はベトナムからバングラデシュやモンゴル、北朝鮮、マレーシア、シンガポールなどにも活動範囲を広げ、ユネスコ親善大使兼識字特使としての役割を積極的に果たしてきた。各国での教育についても杉氏は、読み書きは手段であって、それ以前に教育は“人間”を育てることこそ、大事にしなければならないという。そして、そのバロメーターはやはり“声”にあるという。
「役者でも新人の頃はなかなか声が出ません。新人歌手もそうです。動きも鈍い。それは自分に自信がないからです。自分の話す言葉が自分で聞こえるようになってくれば一人前。それだけ自信がついたということなのです。その意味で、途上国の子どもたちにも自信をつけさせなければならない。それには教育が必要です。人間というものは不思議なもので、声の大きさに自信が表れるのです。国もそうです。ベトナムの大人も子どもたちも、今ではしっかりした声で話すようになり、歩く速度も速くなりました。私は毎年、15カ国・地域が参加するアジア国際子ども映画祭を開催していますが、子どもたちの声を聞けば、その国が今どれだけ力をつけているかが、わかります」
そんな杉氏は、現在の日本の教育の現状についてどのように思っているのだろうか。
「一流大学に入るための勉強はしているかもしれませんが、社会的な勉強が足りないと感じています。もっと言えばハートが足りない。人間性を高めるための教育とは何か。そこを考えるべきだと思います。現在のコロナ禍によって、人と人との交流が分断され、人間性を高める教育がますます失われつつあるように見えます。それでは子どもがかわいそうです」
杉氏は教育について、胎児教育から始まり、人格が形成される幼児教育までをとくに重視している。そして、学校教育、社会教育へと続き、一人前の人間に育つまでは、親をはじめ、学校や自治体など周辺社会の果たすべき役割が大きいという。
「子どもたちにいかに社会への対応性を身に付けさせるのか。時には精神や肉体を強くするスパルタ的な教育が必要な場合があるかもしれない。厳しさは今の世の中では嫌われていますが、それがかえってよいときもありうる。愛情をもった叱り方もあるのです。その意味で、親を見れば、子どもがわかる。子どもを見れば、親がわかる。子どもを育てるということは非常に大変なことなのです」