識字障害の21歳「ドローン操縦士」、成功の軌跡 世界への扉を開いた「テクノロジー」の数々

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ところが、機体を手に入れようと探したものの、どこにも売っていない。当時、ドローンは日本に限らず、世界でも認知度はまだ低かった。

智樹さんが自身で設計し、海外から部品をかき集めて組み立てた第1号のドローン(提供:髙梨智樹さん)

そこで智樹さんは、英語の情報をたどり、半年かけて部品を海外から取り寄せ、自分でドローンを組み立てたという。小さい頃からモノの構造に興味があり、おもちゃや時計などの分解や改造を繰り返していたというが、ドローンも自作してしまうとは驚きだ。完成した機体を飛ばし、初めて空から水平線の映像を撮れた時はとてもうれしかったという。

15年、高校2年生の時、初めて参加した国内レースで4位という好成績を収めたことを機に、さらにドローンにのめり込んでいく。

「体が弱く運動会などもいい結果が残せたことがなかったので、自信になりました。もっと挑戦したいと思いました」

3回目に出場した大会で優勝し、16年3月には日本代表として、ドバイで開かれた世界大会に出場。以来、映像撮影の仕事が次々と舞い込むようになった。

多くの「人とテクノロジー」に出会えた10代

智樹さんの父、浩昭さん。「さまざまな場面で前例がないと言われてきた」と語る

一方、学校生活は悩むことが多かった。前述のとおり小学校はほとんど通えず、中学も地元の公立校に籍を置いたものの、入学してすぐに体調や学習の面で困難を感じたという。すぐにでも特別支援学校に移りたかったが、簡単なことではなかった。

「入院が必要な子どもを対象としていた学校だったので、『周期性嘔吐症での在籍は前例がない』と断られ続けました。智樹には『前例がないなら前例を作ろう』と励まし、少しずつ地元の先生や教育委員会などさまざまな方と話し合いを重ね、1年かけて認めてもらいました」と、浩昭さんは当時を振り返る。

特別支援学校に移ることができてからは、少しずつ状況が変化していった。先生がマンツーマンで教えてくれる環境のおかげで、識字障害があることが判明したのだ。

「パソコンを使うと知識をどんどん吸収できるのに、なぜ自分は読み書きができないのかと思っていました。障害が原因だと知って納得がいきました」

「iPhoneやiPadのおかげでそれほど不自由なく生活できています」と、智樹さん

これを機に、学校でもパソコンを取り入れた。読み上げ教科書を使い、Wordでノートをとることで勉強が進むようになったという。パソコンを使って授業を受けてもよい定時制高校にも無事合格した。

この頃、東京大学先端科学技術研究センターの「DO-IT Japan(ドゥーイット ジャパン)」への参加機会も得る。病気や障害のある子どもを自立させるプロジェクトで、すばらしい先生やさまざまな障害を持つ人たちに出会えたほか、日常生活の助けとなるテクノロジーをたくさん紹介してもらえたという。

例えば現在、愛用するiPhoneやiPad。「読み上げ機能が優れていると教えてもらったんです。実際、タイムラグもないし外国語にも対応していてとても使いやすい」と、話す。

親子で起業、「ドローンで人に貢献したい」

多くの人やテクノロジーに支えられ、ドローンに夢中になる中、気づけば卒業後の進路を考える時期に。すでにドローンの仕事をしていた智樹さんは、起業の道を選んだ。その決断を受け、浩昭さんも「軌道に乗るまでは社会と息子の橋渡し役を担わねば」と考え、会社を退職。17年、高校在学中に、親子2人で合同会社「スカイジョブ」を設立した。

17年、親子でドローン事業に特化した「スカイジョブ」を設立
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